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お知らせ  2022.07.18

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尾張藩蔵書 裏も希少 医学書補強材に明の人事公文書 名古屋・蓬左文庫などが発見

(左)医学書「銅人腧穴鍼灸図経」の裏面に貼られた中国・明の人事関連の公文書。上は同書の表面=名古屋市東区の市蓬左文庫で(川柳晶寛撮影)

(左)医学書「銅人腧穴鍼灸図経」の裏面に貼られた中国・明の人事関連の公文書。上は同書の表面=名古屋市東区の市蓬左文庫で(川柳晶寛撮影)

 17世紀に中国・明(みん)で製本され、現在は名古屋市蓬左文庫(同市東区)が所蔵する医学書の紙の裏面に、補強材として当時の中国の官僚人事にまつわる公文書が大量に使われていることが、同文庫と立命館大、京都大、愛知県立大の共同調査で分かった。公文書は、明王朝中枢で保管された正本で、現代の中国にも残されていないとみられる貴重な史料という。(谷村卓哉)

 医学書は鍼灸の極意をつづった「銅人腧穴鍼灸図経(どうじんしゅけつしんきゅうずけい)」。明の首都・北京の紫禁城内にあった石碑から取った拓本を10冊の折り本にした。尾張藩初代藩主・徳川義直(1600~50年)が何らかの形で入手し愛蔵したと考えられている。

 紙面の裏に別の文書が貼られていることは以前から知られており、昨年末に内容や構造の調査が始まった。拓本を補強する「裏打ち」として、1610年代作成の明の公文書が最低二層、計数百枚使われ、地方勤務の官僚に対して3年に一度行われた人事評定の基礎データが含まれていると判明した。

 うち100枚前後は、河南省の6県を管轄する「懐慶府」が、配下の文官の本籍地や出身身分、勤務歴、賞罰などを1人1人記録し中央に送った文書。別に存在が確認されている明の行政マニュアルの書式通りといい、今回、その実例が初めて確認された。共同調査に携わった立命館大の井上充幸教授(東洋史学)は「官僚組織を支える文書行政への勤勉さが読み取れる。限られたポストを巡り厳しい競争があったからこそ、上への報告をきちんとしたのだろう」と話す。

 調査団によると、裏打ちに使われた経緯から、これらは皇帝直属の人事部門にあった正本とみるのが自然。保存期間を過ぎた後、たまたま出版部門で再利用され現代に残される形となった。中国にも地方機関が作成した写しは現存するが、正本は通常、定期的に更新、廃棄されるため今回のような発見は奇跡的だという。

■中国官僚出世レース 物語る

 中国・明の公文書に含まれていた地方官僚の基礎データを読み解くと、順当に昇進した人には登用試験「科挙」に合格するなどした“キャリア組”が多く、出世しないまま引退となったり、罷免されたりした人には“ノンキャリア組”が多い傾向がみられる。

 立命館大の井上充幸教授は「地道に、歯車として働き続けた官僚たちの人生が刻まれている」と説明。公文書には、評価に直結する、税の収納や裁判の執行状況の報告もあった。

 医学書の史料としての重要性にも、あらためて注目が集まる。明の紫禁城にあった石碑から取られた拓本で日本に現存するのは、1806年に江戸幕府の奥医師多紀元簡(もとやす)が入手した宮内庁書陵部所蔵本との2件だけ。書陵部本は拓本に取った時期が分かっていないが、蓬左文庫本は明の年号がある公文書を裏打ちに使っていたため、1610年代から持ち主だった徳川義直が没するまでの約40年間に絞り込めるという。

 残る謎は、尾張藩への伝来ルート。調査団の1人で愛知県立大の丸山裕美子教授(東アジア文化交流史)は「東アジアの医学交流に迫る上でも重要な課題だ」と指摘。井上教授は、朝鮮王朝が、明から下賜されたものを朝鮮通信使を通じて贈った可能性を挙げる。医学書は、同文庫隣接の徳川美術館で24日に始まる企画展で公開される。

■銅人腧穴鍼灸図経

 1026年に中国・北宋の皇帝仁宗の侍医が著した3巻本。鍼灸学の諸説を整理し350のツボを網羅した。内容を刻んだ石碑と実習用の銅人形も作られた。今回、調査対象となった拓本は、明の時代の1443年に、皇帝英宗の序文を付けて彫り直した石碑から取られた。

(2022年7月18日 中日新聞朝刊1面より)

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