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2009.02.06
新庁舎建設現場から旧岸壁 地元発の工法 100年後も“健在”
1907(明治40)年に開港した名古屋港の築港工事で整備された岸壁の遺構が名古屋港管理組合の新庁舎建設現場(港区港町)から出土し、5日に郷土史家らに公開された。碧南市出身の服部長七が発明した人造石「長七たたき」で固めた遺構は基礎部分から原形をとどめていた。(赤川肇)
名港周辺では現在、護岸など約40カ所で人造石工法の遺構が見られ、地元発の技術力を百年後の今に伝える。今回、出土したのはガーデンふ頭岸壁の陸側約200メートルの場所で、名港管理組合の資料で遺構の存在が分かっていた。
工事関係者が岸壁の裏側から地中約3メートルまで掘り下げると、埋め立て地の拡張に伴い大正時代に埋められた石積みの岸壁上部からマツの丸太を敷いた基礎部分までが現れた。
この岸壁の工法は積み上げた割石のすき間を石灰や土を練り合わせた人造石で固める。築港当初、国庫補助を受けられない中、セメント工法より割安で信頼できる工法として長七たたきに白羽の矢が立ったとみられる。
名港管理組合専門家『人海戦術のスケールに感激』
中部産業遺産研究会副会長で愛知大中部地方産業研究所研究員の天野武弘さん(62)は「初期の人造石護岸の全体像を裏面から見るのは初めてではないか。人海戦術でできた岸壁のスケールの大きさに感激した」と話した。
出土した遺構は新庁舎建設のため2月中にも壊される見通しだが、名港管理組合は写真などの資料を名古屋海洋博物館に提供する。
(2009年2月6日 中日新聞朝刊市民版より)
名港周辺では現在、護岸など約40カ所で人造石工法の遺構が見られ、地元発の技術力を百年後の今に伝える。今回、出土したのはガーデンふ頭岸壁の陸側約200メートルの場所で、名港管理組合の資料で遺構の存在が分かっていた。
工事関係者が岸壁の裏側から地中約3メートルまで掘り下げると、埋め立て地の拡張に伴い大正時代に埋められた石積みの岸壁上部からマツの丸太を敷いた基礎部分までが現れた。
この岸壁の工法は積み上げた割石のすき間を石灰や土を練り合わせた人造石で固める。築港当初、国庫補助を受けられない中、セメント工法より割安で信頼できる工法として長七たたきに白羽の矢が立ったとみられる。
名港管理組合専門家『人海戦術のスケールに感激』
中部産業遺産研究会副会長で愛知大中部地方産業研究所研究員の天野武弘さん(62)は「初期の人造石護岸の全体像を裏面から見るのは初めてではないか。人海戦術でできた岸壁のスケールの大きさに感激した」と話した。
出土した遺構は新庁舎建設のため2月中にも壊される見通しだが、名港管理組合は写真などの資料を名古屋海洋博物館に提供する。
(2009年2月6日 中日新聞朝刊市民版より)