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お知らせ  学生活動  2021.02.14

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名城大 被災の島に勇気10年 気仙沼市・大島 ボランティア 訪問23回、延べ1107人

大島で手作りの看板を設置する名城大の学生ら=2019年5月 宮城県気仙沼市で

大島で手作りの看板を設置する名城大の学生ら=2019年5月 宮城県気仙沼市で

 名城大(名古屋市天白区)の学生たちが毎年、東日本大震災で津波に襲われた宮城県気仙沼市の離島・大島をボランティア活動のため訪れている。2011年3月の震災直後はがれきの撤去に汗を流してきたが、近年は島の豊かな自然を生かそうと観光による復興を支援し、被災者を勇気づけている。(鈴木凜平)

 「人も自然も素晴らしい島。継続して支援することでしかできないこともある」。3年前から大島をたびたび訪れているボランティアの一人、4年の松井飛樹(しぶき)さん(22)=愛知県瀬戸市=はやりがいを語る。

 名城大が初めて大島にボランティアを派遣したのは、震災の3カ月後。島は震災時、フェリーが唯一の渡島手段で、津波で海路が使えず孤立した。「何とかしたい」との思いで、同大OBの気仙沼市職員広瀬宜則さん(64)が母校の申し出を受け、派遣を依頼した。

 島はようやく断水から復旧したばかりで、主な活動は沿岸部に埋まった家具などの撤去作業だった。その後も支援を続け、活動は管弦楽団による避難所での演奏会、ホタテの出荷の手伝い、観光客向けのベンチや看板作りへと変わり、新型コロナウイルス禍前の19年11月までに計23回、延べ1107人の学生が参加した。

 島で旅館を営む村上盛文さん(47)は、学生たちに宿泊場所を提供してきた。震災時、自らは対岸の気仙沼市街地にいて無事だったが、大島で被災し避難所で過ごしていた祖母は、十分な医療介護の支援を受けられず体調を崩して約2週間後に死去。震災関連死の認定を受けた。

 村上さんは学生たちに島を巡ってもらいながら、被災状況や自分の体験を話すとともに、復興策を議論する時間も設けてきた。そうするうちに「島の魅力は自然にある」と気付かされ、島を訪れた人にしかできない体験をしてほしいと、自らの趣味でもあるカメラで星空を撮影する「星空ツアー」を開催。今はコロナの影響で旅館もツアーも休んでいるが、再開を待ち望んでいる。

 名城大で建築を学び、2年前に本土とつなぐ「気仙沼大島大橋」(全長356メートル)の開通に尽力した広瀬さんも「学生に私たちが元気づけられた。まだまだこれからやれることがある」と前を見据える。

 同大のボランティア活動は、コロナ禍の収束後に再始動する予定。松井さんは愛知県内のIT企業に就職するが、これからも大島には行くつもりだ。「後輩たちにはこれからも大島への支援の伝統をつないでほしい」と願う。

■大島

宮城県気仙沼市街地の対岸に位置する約9平方キロメートルの東北地方最大級の有人離島。2020年12月末現在の住民は2342人で震災前から3割弱減った。自然が豊かで「緑の真珠」とも呼ばれる。東日本大震災では津波でフェリーが使えずに孤立し6日間にわたる山林火災にも見舞われた。米軍の「トモダチ作戦」でがれき処理などの支援を受けた。

(2021年2月14日 中日新聞朝刊市民版より)

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