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2014.09.03
名大漕艇部 初のインカレV 女子舵手なしペア 榊原さんと関根さん
名古屋大漕艇(そうてい)部の4年榊原舞子さん(21)=岡崎市出身=と、3年関根優佳さん(20)=滋賀県彦根市出身=が、8月に埼玉県戸田市であった全日本大学選手権大会(インカレ)女子舵手(だしゅ)なしペア種目で優勝した。1949年に新制大学漕艇部となってからは初の快挙。2人のオールを握る手にますます力がこもる。(白井春菜)
午前5時。名古屋市中川区の庄内川右岸にある艇庫から出艇し、2時間半の朝練。平日はその後、講義に出る。艇庫に併設された合宿所で1〜4年の部員約60人が暮らす。
農学部で学ぶ榊原さんは「朝練と夕練があり、午後10〜11時に寝る毎日。リポートが多いと大変」。医学部保健学科で放射線技師を目指す関根さんは「試合で勝つといううれしい瞬間があるから、やめられない」と話す。
大会は8月21〜24日、選手たちが「聖地」と呼ぶ戸田ボートコースで開かれた。ペアを組んでから初めてのインカレで、2000メートルの予選タイムは出場13校中2位。「8位入賞できれば」と考えていた2人は「表彰台も夢じゃない」と奮い立った。
決勝では先頭の立命館大をじりじりと追い上げて抜き、1.23秒差をつけて逃げ切った。タイムは自己ベストの7分43秒92。「ゴールした瞬間は分からなくて、優勝と知ってびっくりした」という2人。OBでコーチを務める県職員の舟橋徹さん(27)は「この2人なら表彰台を狙えると思っていた」と明かす。
身長167センチの榊原さんはロンドン五輪ボート競技に出場した榊原春奈選手のいとこで、大学でボートを始めた。155センチの関根さんは高校時代から競技をしている。
漕艇部は前身の旧制八高時代にはインターハイで何度も優勝経験はあるが、名大としてのインカレ最高順位は2位にとどまっていた。74年度卒のOBで部長の中野富夫准教授は「制約の多い合宿生活を選び、文武両道が頼もしい」と優勝をたたえる。関根さんはインカレ予選を終えた30分後に電車に飛び乗り、放射線取扱主任者の国家試験を受験。榊原さんは決勝3日後に始まった大学院入試を受けて合格した。
2人の次の目標は11日からの全日本選手権大会。「2人でまた表彰台に立ちたい」と心待ちにしている。
(2014年9月3日 中日新聞朝刊県内版より)
午前5時。名古屋市中川区の庄内川右岸にある艇庫から出艇し、2時間半の朝練。平日はその後、講義に出る。艇庫に併設された合宿所で1〜4年の部員約60人が暮らす。
農学部で学ぶ榊原さんは「朝練と夕練があり、午後10〜11時に寝る毎日。リポートが多いと大変」。医学部保健学科で放射線技師を目指す関根さんは「試合で勝つといううれしい瞬間があるから、やめられない」と話す。
大会は8月21〜24日、選手たちが「聖地」と呼ぶ戸田ボートコースで開かれた。ペアを組んでから初めてのインカレで、2000メートルの予選タイムは出場13校中2位。「8位入賞できれば」と考えていた2人は「表彰台も夢じゃない」と奮い立った。
決勝では先頭の立命館大をじりじりと追い上げて抜き、1.23秒差をつけて逃げ切った。タイムは自己ベストの7分43秒92。「ゴールした瞬間は分からなくて、優勝と知ってびっくりした」という2人。OBでコーチを務める県職員の舟橋徹さん(27)は「この2人なら表彰台を狙えると思っていた」と明かす。
身長167センチの榊原さんはロンドン五輪ボート競技に出場した榊原春奈選手のいとこで、大学でボートを始めた。155センチの関根さんは高校時代から競技をしている。
漕艇部は前身の旧制八高時代にはインターハイで何度も優勝経験はあるが、名大としてのインカレ最高順位は2位にとどまっていた。74年度卒のOBで部長の中野富夫准教授は「制約の多い合宿生活を選び、文武両道が頼もしい」と優勝をたたえる。関根さんはインカレ予選を終えた30分後に電車に飛び乗り、放射線取扱主任者の国家試験を受験。榊原さんは決勝3日後に始まった大学院入試を受けて合格した。
2人の次の目標は11日からの全日本選手権大会。「2人でまた表彰台に立ちたい」と心待ちにしている。
(2014年9月3日 中日新聞朝刊県内版より)