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中日新聞掲載の大学記事

2014.05.21

豊橋ゆかりの詩人・丸山薫 来月7日、愛大で研究集会

 豊橋ゆかりの詩人・丸山薫(1899〜1974年)の研究集会が、6月7日に豊橋市町畑町の愛知大で開かれる。昭和を代表する詩人ながら知名度はいまひとつ。今年は没後40年にあたり、関係者は「この機に再評価を」と意気込んでいる。(曽布川剛)

 丸山は国の役人だった父親の転勤で各地を転々とし、父の死後、12歳で母親の実家がある豊橋市に移住した。三高(現京都大)を経て東京帝国大に入学。この間に「檸檬(れもん)」で知られる梶井基次郎や三好達治らと親交を深めた。愛大講師(後に客員教授)としても短期大学部や文学部で教えた。

 研究集会は午後1時からで、詩人・中原中也の研究者らでつくる「中原中也の会」(山口市)が主催する。中原は、丸山が三好や堀辰雄と創刊した「四季」の同人。中原の死後、丸山は詩やエッセーで何度も中原について触れている。集会では元桜丘高教員で文芸評論家の北川透さんが2人をテーマに講演する。

 さらに、立原道造らも含めた同時代の詩人による「叙情」をテーマにパネルディスカッションする。司会を務める中原中也の会理事の権田浩美・愛大非常勤講師(近現代文化)は「物を擬人化する詩の表現を確立した丸山の功績は、もっと広く知られるべきだ。丸山の詩は一度読んだだけでは印象に残りにくいが、解説を聞けば、その面白さに気付いてもらえる」と話す。

 愛大の構内にある愛大記念館と図書館では6月7日まで、関連展示も開催中。丸山が作詞した愛大短期大学部学生歌「梢(こずえ)の歌」の直筆原稿用紙や、豊橋市が1994年から実施している丸山薫賞の受賞者紹介パネルなどが並ぶ。

■丸山薫 八町小学校、県立第四中学(現時習館高)を卒業し東京高等商船学校(現東京海洋大)に入学したが病気で中退。三高、東京帝国大国文科で文学活動を本格化させる。1932年に初の詩集「帆・ランプ・●(かもめ)」を刊行。34年に詩誌「四季」を創刊。戦時中は山形県に疎開し、48年に豊橋へ戻り翌年から愛知大講師に。51年に中部日本詩人連盟の初代委員長、57年に中日文化賞受賞。豊橋など県内を中心に全国50以上の小・中学、高校の校歌を作詞した。豊橋市内には墓や詩碑がある。

※●は匡の王が品、右に鳥

(2014年5月21日 中日新聞朝刊東三河版より)

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