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中日新聞掲載の大学記事

2012.03.10

NYで活動、急逝のデザイナー中村さん 友や恩師が追悼展 母校の市立大芸術工学棟で

■貧困や環境問題シンプルに表現 才能あふれる30点

 ニューヨークで活動していた岐阜県大垣市出身の名古屋市立大芸術工学研究科OBのグラフィックデザイナー中村佳嗣さんが昨年末、白血病のため31歳の若さで他界した。貧困や環境問題など骨太な主題を、シンプルな構図や配色で表現した中村さんの作品を紹介しようと、友人や恩師らが千種区北千種の大学キャンパスで10日まで、個展「ピュアー」を開いている。 (相坂穣)

 市立大芸術工学棟の個展会場。階段状のホールに、B1判のパネルにプリントされた30点が並び、米国の対テロ戦争での犠牲やHIVの母子感染を記号化した作品が目を引く。「余計な物をそぎ落としたピュアーなデザインで強いメッセージを発した」。企画した友人らはこう話す。

 在学中は、バナナの木の繊維で紙を作って発展途上国の人たちを支援していた森島紘史名誉教授の研究室に所属。2005年の愛・地球博で研究室が出展したパビリオンの中心人物として活躍。若手デザイナーの全国コンクールでも入選した。

 大学院修了後の07年に渡米。グラフィックの名門として知られるミシガン州の大学で学んだ後、ニューヨークのデザイン事務所に勤務し、ニューヨーク市や製薬業界大手ファイザー社の広告やホームページ、ポスターなどを手掛けていた。

 しかし昨年5月、病魔に襲われた。初めは風邪のような症状だったが回復せず、病院の検査で白血病と分かった。「1年くらいで治してニューヨークへ戻る」と誓って帰国。中村区の名古屋第一赤十字病院に入院し、11月に骨髄移植を受けたが、その後、内臓機能が低下し、12月28日に亡くなった。

 「才能あふれる彼の作品を今の学生に見せられないか」。告別式で、森島名誉教授が提案。研究室の仲間がすぐに個展の実行委員会を立ち上げ、フェイスブックなどで賛同者を募ると、全国の同級生や後輩ら94人が集まった。

 中村さんのパソコンを両親から借り受けて学生時代の作品を取り出したり、ニューヨークの同僚に依頼して近年の作品を取り寄せたりして展示作品を選定した。

 親友で実行委員会の代表を務めた山田拓生さん(32)は「パソコンを開くと、膨大な取材データが見つかった。天才肌に見えたが、人知れず努力していた。もっと作品を見たかった」と涙を浮かべた。

 研究室の後輩平野豊人さん(29)は「これからさらに良い仕事をしてくれると期待していた。多くの人の心に中村さんの作品の記憶が残れば」と話した。

(2012年3月10日 中日新聞朝刊市民版より)
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