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お知らせ 2019.10.10
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吉野彰氏 ノーベル賞 リチウムイオン電池開発 化学賞 スマホ、EV 蓄電革命 名城大教授
スウェーデン王立科学アカデミーは9日、2019年のノーベル化学賞を吉野彰・名城大教授(71)=旭化成名誉フェロー、18年中日文化賞受賞=ら3氏に授与すると発表した。授賞理由は「リチウムイオン電池の開発」。スマートフォンやノートパソコン、電気自動車(EV)まで幅広い電源に利用され、情報化社会の広がりとクリーンエネルギーの普及に貢献したことが評価された。
吉野さんとの共同受賞が決まったのは、ジョン・グッドイナフ米テキサス大オースティン校教授(97)と、マイケル・スタンリー・ウィッティンガム米ニューヨーク州立大ビンガムトン校特別教授(77)。グッドイナフさんはノーベル各賞を通じて最高齢の受賞になる。
日本人の化学賞受賞は10年の鈴木章・北海道大名誉教授、根岸英一・米パデュー大特別教授以来で8人目。各賞の受賞者は計27人になった(授賞時に米国籍の2人を含む)。
吉野さんは東京都内で記者会見し「非常にうれしい。(リチウムイオン電池を搭載した)電気自動車が普及して巨大な蓄電システムができれば、太陽光発電なども普及し、環境問題の解決に貢献できる」と述べた。
リチウムイオン電池は、繰り返し充電して使える蓄電池で「二次電池」とも呼ばれる。グッドイナフさんは1978年から英オックスフォード大で電池の研究に取り組み、プラスの電極(正極)にコバルト酸リチウムを用いることで、何回も充電して使える電池ができる可能性を示した。
ウィッティンガムさんは70年代初めに金属リチウムをマイナスの電極(負極)に使った電池を開発し、現在のリチウムイオン電池の基本原理を突き止めた。
吉野さんは電気を通すプラスチック「ポリアセチレン」を負極に使い、コバルト酸リチウムを正極として電池の原型を製作。その後、負極を炭素繊維に替え、正負の電極が触れてショートしないようにセパレーターで仕切るなど構造を工夫し、85年に実用的なリチウムイオン電池を開発した。
授賞式は12月10日にストックホルムで開かれる。賞金は900万クローナ(約9700万円)を3人で等分する。
■「執念と能天気」プラスに
試作した電池の性能を調べる電圧計測器。いつもの失敗作なら、すぐに「ゼロ」になってしまう電圧計測器の針が、いつまでも高い数値を示し続けていた。「この数値は本当なのか。落ちるな、落ちるな…。やった!」。心の中でガッツポーズ。リチウムイオン電池が誕生した瞬間だった。
吉野彰さんは京都大で石油化学を学び、旭化成に入社。「世界を相手に勝負しながら企業で研究開発する方がいい」。入社2年目から、新しい技術の種を2年刻みで生み出す探索研究を担当。最初の3つのテーマは失敗し、4つ目に挑んだのがリチウムイオン電池の開発だった。1981年にプラスチックの一種「ポリアセチレン」の活用方法を探り始めた。
ポリアセチレンは電気を通すプラスチックとして当時注目を集め始めており、後に発見者の白川英樹・筑波大名誉教授がノーベル化学賞を受賞している。吉野さんは、「電気が流れるなら、電池の材料になるのでは」とひらめき、ポリアセチレンを電池の負極材料にしようと研究を始めた。
だが、相手となる正極の材料が見つからなかった。試行錯誤を繰り返し、最後に行き当たったのが「コバルト酸リチウム」だった。
試作した電池は高い性能を示した。しかし、難題が発生した。ポリアセチレンは原理的に小型化が難しく、代わる材料を探す日々が続いた。胃に穴があきそうな時もあったというが、「まあ何とかなりますわなあ、という能天気さが研究には絶対いる。執念深さと能天気。この2つをどうバランスさせるかが1番のポイント」。似た構造を持つ炭素繊維を使い、85年に実用的なリチウムイオン電池の開発に成功した。
当初、電池の用途として想定されたのは家庭用の8ミリビデオカメラ。だがその後、ノートパソコンやスマートフォンと用途は飛躍的に広がった。現在は地球温暖化対策の切り札として、電気自動車用でも注目を集めている。
企業で研究する醍醐味(だいごみ)を「マーケット(市場)を驚かせること。世の中のニーズを見て、みんなが難しくて実現できないことに挑んで達成するのが面白い」と語る。
「リチウムイオン電池のような小型軽量電池は、モバイルIT社会の実現に貢献した。今後は環境問題の観点からの研究が重要。さらに関わっていきたい」。企業で研究開発の道を究めた吉野さんが、最高の栄誉に輝いた。 (坪井千隼、芦原千晶)
吉野彰氏(よしの・あきら) 1948年1月30日、大阪府吹田市生まれ。70年京都大工学部石油化学科卒、72年京大大学院工学研究科を修了し、旭化成工業(現旭化成)に入社。電池材料事業開発室長などを経て、2003年に同社フェロー。05年に同社吉野研究室長、15年顧問。17年から名誉フェロー、名城大教授。電池材料メーカーによる技術研究組合「リチウムイオン電池材料評価研究センター」(大阪府)の理事長も歴任。04年に紫綬褒章受章。13年にロシアのノーベル賞ともいわれるグローバルエネルギー賞、18年に中日文化賞、日本国際賞、19年に欧州特許庁の欧州発明家賞を受賞。神奈川県在住。71歳。
(2019年10月10日 中日新聞朝刊1面より)
吉野さんとの共同受賞が決まったのは、ジョン・グッドイナフ米テキサス大オースティン校教授(97)と、マイケル・スタンリー・ウィッティンガム米ニューヨーク州立大ビンガムトン校特別教授(77)。グッドイナフさんはノーベル各賞を通じて最高齢の受賞になる。
日本人の化学賞受賞は10年の鈴木章・北海道大名誉教授、根岸英一・米パデュー大特別教授以来で8人目。各賞の受賞者は計27人になった(授賞時に米国籍の2人を含む)。
吉野さんは東京都内で記者会見し「非常にうれしい。(リチウムイオン電池を搭載した)電気自動車が普及して巨大な蓄電システムができれば、太陽光発電なども普及し、環境問題の解決に貢献できる」と述べた。
リチウムイオン電池は、繰り返し充電して使える蓄電池で「二次電池」とも呼ばれる。グッドイナフさんは1978年から英オックスフォード大で電池の研究に取り組み、プラスの電極(正極)にコバルト酸リチウムを用いることで、何回も充電して使える電池ができる可能性を示した。
ウィッティンガムさんは70年代初めに金属リチウムをマイナスの電極(負極)に使った電池を開発し、現在のリチウムイオン電池の基本原理を突き止めた。
吉野さんは電気を通すプラスチック「ポリアセチレン」を負極に使い、コバルト酸リチウムを正極として電池の原型を製作。その後、負極を炭素繊維に替え、正負の電極が触れてショートしないようにセパレーターで仕切るなど構造を工夫し、85年に実用的なリチウムイオン電池を開発した。
授賞式は12月10日にストックホルムで開かれる。賞金は900万クローナ(約9700万円)を3人で等分する。
■「執念と能天気」プラスに
試作した電池の性能を調べる電圧計測器。いつもの失敗作なら、すぐに「ゼロ」になってしまう電圧計測器の針が、いつまでも高い数値を示し続けていた。「この数値は本当なのか。落ちるな、落ちるな…。やった!」。心の中でガッツポーズ。リチウムイオン電池が誕生した瞬間だった。
吉野彰さんは京都大で石油化学を学び、旭化成に入社。「世界を相手に勝負しながら企業で研究開発する方がいい」。入社2年目から、新しい技術の種を2年刻みで生み出す探索研究を担当。最初の3つのテーマは失敗し、4つ目に挑んだのがリチウムイオン電池の開発だった。1981年にプラスチックの一種「ポリアセチレン」の活用方法を探り始めた。
ポリアセチレンは電気を通すプラスチックとして当時注目を集め始めており、後に発見者の白川英樹・筑波大名誉教授がノーベル化学賞を受賞している。吉野さんは、「電気が流れるなら、電池の材料になるのでは」とひらめき、ポリアセチレンを電池の負極材料にしようと研究を始めた。
だが、相手となる正極の材料が見つからなかった。試行錯誤を繰り返し、最後に行き当たったのが「コバルト酸リチウム」だった。
試作した電池は高い性能を示した。しかし、難題が発生した。ポリアセチレンは原理的に小型化が難しく、代わる材料を探す日々が続いた。胃に穴があきそうな時もあったというが、「まあ何とかなりますわなあ、という能天気さが研究には絶対いる。執念深さと能天気。この2つをどうバランスさせるかが1番のポイント」。似た構造を持つ炭素繊維を使い、85年に実用的なリチウムイオン電池の開発に成功した。
当初、電池の用途として想定されたのは家庭用の8ミリビデオカメラ。だがその後、ノートパソコンやスマートフォンと用途は飛躍的に広がった。現在は地球温暖化対策の切り札として、電気自動車用でも注目を集めている。
企業で研究する醍醐味(だいごみ)を「マーケット(市場)を驚かせること。世の中のニーズを見て、みんなが難しくて実現できないことに挑んで達成するのが面白い」と語る。
「リチウムイオン電池のような小型軽量電池は、モバイルIT社会の実現に貢献した。今後は環境問題の観点からの研究が重要。さらに関わっていきたい」。企業で研究開発の道を究めた吉野さんが、最高の栄誉に輝いた。 (坪井千隼、芦原千晶)
吉野彰氏(よしの・あきら) 1948年1月30日、大阪府吹田市生まれ。70年京都大工学部石油化学科卒、72年京大大学院工学研究科を修了し、旭化成工業(現旭化成)に入社。電池材料事業開発室長などを経て、2003年に同社フェロー。05年に同社吉野研究室長、15年顧問。17年から名誉フェロー、名城大教授。電池材料メーカーによる技術研究組合「リチウムイオン電池材料評価研究センター」(大阪府)の理事長も歴任。04年に紫綬褒章受章。13年にロシアのノーベル賞ともいわれるグローバルエネルギー賞、18年に中日文化賞、日本国際賞、19年に欧州特許庁の欧州発明家賞を受賞。神奈川県在住。71歳。
(2019年10月10日 中日新聞朝刊1面より)