HOME > 中日新聞掲載の大学記事 > 学生活動
学生活動 2025.07.10
この記事の関連大学
特攻隊員を訓練、潜水艦に指令、東洋一の兵器工場… 三河の戦争遺構 足運び知る

「明治航空基地」燃弾庫跡で神谷さん(左)から説明を聞く学生=安城市東端町で
■椙山女学園大生 小中高生向けツアー企画へ調査
「太平洋戦争の末期、日本は無謀な特別攻撃(特攻)を展開した。ここで訓練を受けた20代の若者たちも犠牲になった」。安城市の明治航空基地の跡地を訪れた学生たちは、同市教委文化振興課の神谷友和さんの説明に耳を傾けていた。
旧日本海軍の基地として1943年4月から水田地帯に整備され、航空隊員の養成を担った。200ヘクタールほどの敷地に6本の滑走路や兵舎、燃料や爆弾を収蔵する燃弾(ねんだん)庫を備えていた。
神谷さんによると、全国から集まった志願兵は基地で訓練を積み、前線へと送られた。45年には全国の飛行隊が鹿児島県の基地に集まり、同4月に沖縄近海の米艦船を攻撃する「天一号作戦」を展開。明治航空基地の航空隊による特攻も行われ、23人が戦死した。
終戦後、基地は占領軍によって武装解除され、愛知県の主導で農地とされた。跡地に残る燃弾庫や石碑を見学した4年の二ノ宮杏璃さん(21)は「県内にこのような遺構があることは知らなかった。実際に足を運ぶことで、強く印象に残る」と話した。
学生は現代マネジメント学部、水野英雄准教授のゼミ生ら。戦争遺構を訪れて歴史を学ぶダークツーリズムに着目し、三河の戦跡を巡るツアー作りに取り組んでいる。この日はほかに、潜水艦に指令を発する役割を担った「依佐美(よさみ)送信所」の記念館(刈谷市)、「東洋一の兵器工場」と呼ばれた豊川海軍工廠(こうしょう)を狙った米軍機による空襲(45年8月)の歴史を伝える平和公園や戦没者供養塔(豊川市)も調査した。
成果は名鉄観光サービス(中村区)と共同で、9月25日に県国際展示場で開かれる「ツーリズムEXPOジャパン愛知・中部北陸」で発表する。「戦争の記憶の風化を防ぐため、私たちの世代ができることを考えたい」と4年の高橋華さん(21)。学生らは「明るいダークツーリズム」と銘打ち、近隣の公園や観光地も巡り、参加者が楽しみながら歴史を学べるツアーを提案する考えだ。
(2025年7月10日 中日新聞朝刊市民版より)