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2009.03.11
夢街人 江南在住のピアニスト 長谷川恵美子さん
3年間の留学を終えて、一昨年秋に帰国。自宅でピアノを教える傍ら、演奏活動に情熱を注ぐ。
ピアノのレッスンを受け始めたのは3歳のころ。名古屋音楽大大学院を首席で修了し、卒業後は、同大音楽学部声楽科などの伴奏ピアニストとして授業の補佐をした。
ショパンの思いどう伝えるか
2004年夏、ポーランドへ。国立ワルシャワ・ショパン音楽院で学んだ。「表現は一つだけじゃない。頭を使って、自分が表現したいことを演奏しよう」「ピアノ以外のことにも触れ、いろんな刺激を受けてみて」といった恩師のアドバイスは新鮮だった。「遠慮せず、自分らしい表現を磨くようになった」という。
ポーランドは“歩けばショパンに触れられる街”。人々が歌い踊る姿を通し、民俗や歴史を知った。「ショパンは、どんな思いでこの曲を作ったのだろう」。今は練習よりも、作曲家の思いをどんな音で表現したらよいか考える時間を大切にしている。
ライフワークとしてマズルカに取り組むつもりだ。ショパンが若いころから死ぬまで作り続けた民俗舞曲。「ポーランドのにおいがする作品だから」(山田友美)
(2009年3月11日 中日新聞朝刊尾張総合版より)
ピアノのレッスンを受け始めたのは3歳のころ。名古屋音楽大大学院を首席で修了し、卒業後は、同大音楽学部声楽科などの伴奏ピアニストとして授業の補佐をした。
ショパンの思いどう伝えるか
2004年夏、ポーランドへ。国立ワルシャワ・ショパン音楽院で学んだ。「表現は一つだけじゃない。頭を使って、自分が表現したいことを演奏しよう」「ピアノ以外のことにも触れ、いろんな刺激を受けてみて」といった恩師のアドバイスは新鮮だった。「遠慮せず、自分らしい表現を磨くようになった」という。
ポーランドは“歩けばショパンに触れられる街”。人々が歌い踊る姿を通し、民俗や歴史を知った。「ショパンは、どんな思いでこの曲を作ったのだろう」。今は練習よりも、作曲家の思いをどんな音で表現したらよいか考える時間を大切にしている。
ライフワークとしてマズルカに取り組むつもりだ。ショパンが若いころから死ぬまで作り続けた民俗舞曲。「ポーランドのにおいがする作品だから」(山田友美)
(2009年3月11日 中日新聞朝刊尾張総合版より)