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2011.07.14
名城大柔道部 強さの秘密 監督夫婦の愛情“技あり”
名城大(名古屋市天白区)柔道部が、6月末に日本武道館であった全日本学生柔道優勝大会の女子3人制で4年ぶり7回目の3位入賞を果たした。男子も東海地方の大会で19連覇中だ。部員の活躍を支えるのは、関巌監督(66)と妻富子さん(64)が自宅で開いている寮。夫婦は「全国に通用する選手を育てる」という夢を追い続けている。(相坂穣)
■自費で自宅に寮開設
午前7時、1時間の稽古を終えて寮に戻った部員の朝食が始まった。野菜サラダやご飯を次々とお代わりし、牛乳でぐいぐい流し込む。「毎月300キロのお米を炊きます。食べっぷりで、体調が分かる」と富子さん。
教授として発達教育を研究する関監督は1994年、名古屋市瑞穂区の自宅を4階建てに改築して新瑞(あらたま)寮を開いた。男子39人、女子8人の計47人が暮らす。
大学で全国レベルの実力を持つ部では合宿所を持つ所が少なくないが、ほとんど大学の所有で専門の管理人や調理師を雇っている。しかし、新瑞寮へ大学からの補助はない。1人あたり光熱費別5万円の寮費を徴収しているが不足分は監督がポケットマネーで賄う。「こんな寮は珍しいが、どうしてもやりたかった」
関監督は日本体育大で選手、東海大で指導者を経験。29歳で名城大に講師で赴任して気になったのは部員の細い体つき。1人暮らしで規則正しく食事できなかったり、アルバイトで生活費を稼いだりしている事情があった。
15年が過ぎたころ「バランスの良い食生活なくして、強い柔道家は育たない。家を寮にしたい」と富子さんに打ち明けると「部員全員が、家族のように絆を深められる寮にしましょう」と応じた。
■手料理と絆47選手支える
選手たちは富子さんの手料理で体力をつけ、すぐ結果を出し始めた。男子は寮を開設した94年の冬から東海地方の学生柔道大会で19連覇中。女子も99年の全日本学生柔道優勝大会で初めて3位に入り、今年で7回目の3位入賞を果たした。
関監督夫婦は部員の部屋を確保するため、10畳ほどの部屋で生活。門限の午後11時に部員の帰寮を確認した後に就寝、午前5時前に起きて部員を見守る。
部員は2〜3人で1つの部屋に住む。3年古木里香さん(20)は「みんなで一緒に暮らしていると家族になれる。だから強くなれる」。女子主将の炭竈(すみがま)仁美さん(21)は「奥さんに柔道以外の悩みを聞いてもらう子も多い」と話す。
「選手の心身を鍛える寮を続けたい。女房に面と向かって『ありがとう』と言ったことはないけど、いつか言わないと」と関監督。富子さんは「わが子のような選手が試合で結果を出した時の喜びを見れば、疲れも吹き飛ぶ」と笑顔を見せた。
(2011年7月14日 中日新聞夕刊社会面より)
■自費で自宅に寮開設
午前7時、1時間の稽古を終えて寮に戻った部員の朝食が始まった。野菜サラダやご飯を次々とお代わりし、牛乳でぐいぐい流し込む。「毎月300キロのお米を炊きます。食べっぷりで、体調が分かる」と富子さん。
教授として発達教育を研究する関監督は1994年、名古屋市瑞穂区の自宅を4階建てに改築して新瑞(あらたま)寮を開いた。男子39人、女子8人の計47人が暮らす。
大学で全国レベルの実力を持つ部では合宿所を持つ所が少なくないが、ほとんど大学の所有で専門の管理人や調理師を雇っている。しかし、新瑞寮へ大学からの補助はない。1人あたり光熱費別5万円の寮費を徴収しているが不足分は監督がポケットマネーで賄う。「こんな寮は珍しいが、どうしてもやりたかった」
関監督は日本体育大で選手、東海大で指導者を経験。29歳で名城大に講師で赴任して気になったのは部員の細い体つき。1人暮らしで規則正しく食事できなかったり、アルバイトで生活費を稼いだりしている事情があった。
15年が過ぎたころ「バランスの良い食生活なくして、強い柔道家は育たない。家を寮にしたい」と富子さんに打ち明けると「部員全員が、家族のように絆を深められる寮にしましょう」と応じた。
■手料理と絆47選手支える
選手たちは富子さんの手料理で体力をつけ、すぐ結果を出し始めた。男子は寮を開設した94年の冬から東海地方の学生柔道大会で19連覇中。女子も99年の全日本学生柔道優勝大会で初めて3位に入り、今年で7回目の3位入賞を果たした。
関監督夫婦は部員の部屋を確保するため、10畳ほどの部屋で生活。門限の午後11時に部員の帰寮を確認した後に就寝、午前5時前に起きて部員を見守る。
部員は2〜3人で1つの部屋に住む。3年古木里香さん(20)は「みんなで一緒に暮らしていると家族になれる。だから強くなれる」。女子主将の炭竈(すみがま)仁美さん(21)は「奥さんに柔道以外の悩みを聞いてもらう子も多い」と話す。
「選手の心身を鍛える寮を続けたい。女房に面と向かって『ありがとう』と言ったことはないけど、いつか言わないと」と関監督。富子さんは「わが子のような選手が試合で結果を出した時の喜びを見れば、疲れも吹き飛ぶ」と笑顔を見せた。
(2011年7月14日 中日新聞夕刊社会面より)