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2010.11.03
故本間氏の銅像除幕 愛大学長 創始者顕彰「交流を」
■生誕の地 山形・川西
愛知大(本部・豊橋市)の創設者である故本間喜一名誉学長の銅像の寄贈式が2日、生誕地の山形県川西町(旧玉庭村)役場の議場であった。原田俊二町長や愛大の佐藤元彦学長らがブロンズ製の胸像を除幕して祝った。(石屋法道)
佐藤学長は「本間先生に今も学ぶことは多い。今後も80以上の海外の旧制大学や高校から生徒を募った原点を念頭に進まねばならない」とあいさつ。給付型奨学金創設など大学の動きも交えながら「町から第2、第3の本間先生を生んでもらいたい。知識を軸にした交流も深めたい」と話した。
銅像の制作費を賄った愛大卒業生で本間喜一先生顕彰会長の越知専さん(79)は「本間先生は体重を15キロも落としながら愛大をつくった。そこには(生誕地の)玉庭ではぐくまれた愛があった」と人柄を披露。「町には偉人が埋もれている。地域に貢献する人材をつくるのが大学だ」と力説した。
本間氏は旧玉庭村の小池家に生まれ、叔父の養子になり、13歳で上京。東京帝国大を卒業後、判事などを務め、中国・上海にあった東亜同文書院大の最後の学長に。戦後に海外の大学の受け皿として愛大の創設に尽力し、最高裁初代事務総長にもなった。寄贈式には、長女の殿岡晟子(あきこ)さん(東京都世田谷区)や生家の小池昌信さんも出席した。
川西町は人口約1万8000人で米沢市に近い。今年亡くなった作家井上ひさしさんの出身地でもある。原田町長は「足跡をたどるほど学んでいかねば、という思い。井上先生や本間先生ら偉人の顕彰を進めたい。人口減少や高齢化など地方が抱える悩みを解決する英知を力添えいただければ」とお礼を述べた。
(2010年11月3日 中日新聞朝刊東三河版より)
愛知大(本部・豊橋市)の創設者である故本間喜一名誉学長の銅像の寄贈式が2日、生誕地の山形県川西町(旧玉庭村)役場の議場であった。原田俊二町長や愛大の佐藤元彦学長らがブロンズ製の胸像を除幕して祝った。(石屋法道)
佐藤学長は「本間先生に今も学ぶことは多い。今後も80以上の海外の旧制大学や高校から生徒を募った原点を念頭に進まねばならない」とあいさつ。給付型奨学金創設など大学の動きも交えながら「町から第2、第3の本間先生を生んでもらいたい。知識を軸にした交流も深めたい」と話した。
銅像の制作費を賄った愛大卒業生で本間喜一先生顕彰会長の越知専さん(79)は「本間先生は体重を15キロも落としながら愛大をつくった。そこには(生誕地の)玉庭ではぐくまれた愛があった」と人柄を披露。「町には偉人が埋もれている。地域に貢献する人材をつくるのが大学だ」と力説した。
本間氏は旧玉庭村の小池家に生まれ、叔父の養子になり、13歳で上京。東京帝国大を卒業後、判事などを務め、中国・上海にあった東亜同文書院大の最後の学長に。戦後に海外の大学の受け皿として愛大の創設に尽力し、最高裁初代事務総長にもなった。寄贈式には、長女の殿岡晟子(あきこ)さん(東京都世田谷区)や生家の小池昌信さんも出席した。
川西町は人口約1万8000人で米沢市に近い。今年亡くなった作家井上ひさしさんの出身地でもある。原田町長は「足跡をたどるほど学んでいかねば、という思い。井上先生や本間先生ら偉人の顕彰を進めたい。人口減少や高齢化など地方が抱える悩みを解決する英知を力添えいただければ」とお礼を述べた。
(2010年11月3日 中日新聞朝刊東三河版より)