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学生活動 2025.03.07
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東日本大震災14年 東北の思い 次につなぐ
■「もう私たちは大丈夫。能登に行ってあげて」 名古屋学芸大 支援11年
東日本大震災から、間もなく14年。愛知県日進市の名古屋学芸大は、2014年から宮城県で無償の食堂を開くなど復興支援を続けてきた。ただ被災者の移転が進むなど状況が以前と変わる中、2月の福島県での活動を最後に、11年に及んだ支援に区切りを付けた。きっかけは、被災者からの言葉。「もう私たちは大丈夫。能登に行ってあげて」。東北からの思いを、能登へつなぐ。(青山直樹)
福島第1原発20キロ圏内で、16年途中まで避難指示が出された福島県南相馬市。今年2月下旬、交流施設の一室に並んだのは、天むすや鬼まんじゅうなど愛知県らしいメニューだ。福島県産の食材を使い、学生たちが手作りした。
担当したのは管理栄養学科の11人。2年の斉藤花音(かのん)さん(20)は「住民の方々は強い意志を持って南相馬に戻ってきた。すごく元気で、活力を感じた」。
学生らは現地に4日間滞在し、高齢者への健康教室なども企画。学生らと交流した男性は「南相馬には大学がない。学生が来てくれるとみんな元気が出て、子どもたちもうれしいと思う」と喜んだ。
一連の交流はボランティア活動を支援する同大の「サービスラーニングセンター」が「被災地で何かできることはないか」と14年に始めた。17年まで宮城県石巻市の仮設住宅で春休みと夏休みに無償の食堂を開き、18年からは、同県南三陸町の高台に完成した団地で食事会や夏祭りを開催。19年からは、南相馬市で学生が食や健康をテーマとしたイベントを企画してきた。
震災から14年。温かな食事が独居の住民やお年寄りに喜ばれるなど、今なお支援を必要とし、交流の継続を願う被災者はいる。学生にとっても大切な取り組みだが、センターの活動をサポートし、東北を毎年訪れている同大ヒューマンケア学部講師の石原貴代さんは「何人もの被災者の方々から、『私たちは大丈夫だから、能登に行ってあげてほしい』と言っていただいた」と明かす。
悩んだが、若い世帯が市街地に移り住むなど状況は以前と変わっているのは確か。支援をいったん締めくくり、新たに能登半島地震の被災地での活動を模索することにした。石原さんらが宿泊先や交通状況、支援方法などの事前調査を始めており、早ければ今秋にも学生を連れて能登へ向かいたいという。
センターとしての東北支援は終えるが、結婚や子どもの誕生を知らせに、被災地を再訪する卒業生もいるなど絆は続く。「支援が完全に終わりというわけでない」と石原さん。2年の盛林(じょうりん)若菜さん(20)も「みなさんに良くしてもらえたし、また福島に行ってみたい」と話す。
(2025年3月7日 中日新聞朝刊30面より)
東日本大震災から、間もなく14年。愛知県日進市の名古屋学芸大は、2014年から宮城県で無償の食堂を開くなど復興支援を続けてきた。ただ被災者の移転が進むなど状況が以前と変わる中、2月の福島県での活動を最後に、11年に及んだ支援に区切りを付けた。きっかけは、被災者からの言葉。「もう私たちは大丈夫。能登に行ってあげて」。東北からの思いを、能登へつなぐ。(青山直樹)
福島第1原発20キロ圏内で、16年途中まで避難指示が出された福島県南相馬市。今年2月下旬、交流施設の一室に並んだのは、天むすや鬼まんじゅうなど愛知県らしいメニューだ。福島県産の食材を使い、学生たちが手作りした。
担当したのは管理栄養学科の11人。2年の斉藤花音(かのん)さん(20)は「住民の方々は強い意志を持って南相馬に戻ってきた。すごく元気で、活力を感じた」。
学生らは現地に4日間滞在し、高齢者への健康教室なども企画。学生らと交流した男性は「南相馬には大学がない。学生が来てくれるとみんな元気が出て、子どもたちもうれしいと思う」と喜んだ。
一連の交流はボランティア活動を支援する同大の「サービスラーニングセンター」が「被災地で何かできることはないか」と14年に始めた。17年まで宮城県石巻市の仮設住宅で春休みと夏休みに無償の食堂を開き、18年からは、同県南三陸町の高台に完成した団地で食事会や夏祭りを開催。19年からは、南相馬市で学生が食や健康をテーマとしたイベントを企画してきた。
震災から14年。温かな食事が独居の住民やお年寄りに喜ばれるなど、今なお支援を必要とし、交流の継続を願う被災者はいる。学生にとっても大切な取り組みだが、センターの活動をサポートし、東北を毎年訪れている同大ヒューマンケア学部講師の石原貴代さんは「何人もの被災者の方々から、『私たちは大丈夫だから、能登に行ってあげてほしい』と言っていただいた」と明かす。
悩んだが、若い世帯が市街地に移り住むなど状況は以前と変わっているのは確か。支援をいったん締めくくり、新たに能登半島地震の被災地での活動を模索することにした。石原さんらが宿泊先や交通状況、支援方法などの事前調査を始めており、早ければ今秋にも学生を連れて能登へ向かいたいという。
センターとしての東北支援は終えるが、結婚や子どもの誕生を知らせに、被災地を再訪する卒業生もいるなど絆は続く。「支援が完全に終わりというわけでない」と石原さん。2年の盛林(じょうりん)若菜さん(20)も「みなさんに良くしてもらえたし、また福島に行ってみたい」と話す。
(2025年3月7日 中日新聞朝刊30面より)