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2010.02.27
中京大中京高の全国V主将が中京大に進学 山中遊撃手
■同期・堂林に刺激 将来はプロが目標
春はフレッシュマンの季節。愛知大学野球リーグの1部6校には計147人の新入部予定(26日現在=本紙調べ)の選手がいる。チームには先週から合流し、早くも存在感をみせているのが中京大・山中渉伍遊撃手。ドラフト2位指名で広島に入団した堂林らと力を合わせて、昨夏の甲子園では中京大中京の全国優勝に貢献。地元に残って実力を蓄え、将来は堂林と同じプロの世界に羽ばたくことを夢見ている。 (阿知波浩2)
大学日本一を呼ぶ使者になるかもしれない。「何かが起きるような雰囲気がここ(中京大野球部)にはある。ボクもその中に加わっていきたい」。昨夏の甲子園で43年ぶりに全国制覇した中京大中京高の山中主将が中京大に内部進学。昨秋はリーグ4位と低迷した名門チームだが、大学でも天下盗(と)りへと向かう運を山中が持ち込もうとする。
遊撃手としてはヤクルト・宮本型の堅守と巧打。加えて優れたリーダーシップの持ち主で包容力がある。甲子園の決勝で日本文理(新潟)の猛反撃に遭い、肝を冷やしての優勝決定後、お立ち台で自らを責め、涙を浮かべたエース兼4番・堂林の肩をたたきながら笑顔で慰めた男が山中だ。テレビ桟敷では印象的なシーン。春季キャンプ先から、その堂林が「プロの練習はやっぱりキツイ。死にそうだよ」と山中に幾度か電話連絡してきたというが、そんなグチもいま聴いてやっている。
全国優勝メンバーで、中京大の硬式野球部に進んだのは山中だけ。関東の有力大学からも誘いはあったが、断っての内部進学。夏の甲子園ではトップ打者として活躍した男としては、ちょっと寂しい気持ちはないのか。
「目標があるから、そんなことない」と山中は首を振った。「体育学部で学んで、教員資格を取ります。でも、野球は自分でやる方が楽しいから、指導者になるよりも、大学卒業後もボクは現役続行。1番の目標はやっぱりプロ」。同期の堂林と同じステージに立つ夢を追って、入学した年の春からベンチ入りしての好ダッシュを目指している。
▼山中渉伍(やまなか・しょうご) 1991(平成3)年5月10日、愛知県豊明市生まれの18歳。174センチ、74キロ、右投げ右打ち。沓掛中時代は硬式の少年野球ボーイズリーグ「東海チャレンジャー」に所属して遊撃手。車にはねられて今月13日に亡くなった愛工大名電高・徳浪康介投手は「東海チャレンジャー」の1年後輩で、仲がよかった。中京大中京高では2年春、3年の春夏に甲子園大会3度出場。最後の夏の甲子園は「1番・遊撃手」で27打数8安打3打点、打率2割9分6厘をマークし、攻守で全国優勝に貢献。
■平沼巻き返し誓う 父は中日打撃投手
甲子園経験組では、大垣日大の平沼貴晴投手も中京大に進学。父親の定晴さん(44)は千葉商大付高からドラフト2位指名で中日に1983年入団、速球派投手として活躍し、ロッテ、西武にも在籍。現在は中日の用具担当兼打撃投手。平沼ジュニアも右の本格派として期待されたが、最後の夏の岐阜大会は控え投手となって背番号は「10」に降格。「(主戦格から春以降)どんどん落ちていった感じ。悔しい思いをしたから、その分、大学で…」。こちらも体育学部で、保健体育科教諭の資格を取りたいという。
(写真)中京大に進む山中遊撃手(中央上)。平沼投手(左から3人目)ら同期入学の選手たち=愛知県豊田市の中京大グラウンドで
(2010年2月27日 中日スポーツ11面より)
春はフレッシュマンの季節。愛知大学野球リーグの1部6校には計147人の新入部予定(26日現在=本紙調べ)の選手がいる。チームには先週から合流し、早くも存在感をみせているのが中京大・山中渉伍遊撃手。ドラフト2位指名で広島に入団した堂林らと力を合わせて、昨夏の甲子園では中京大中京の全国優勝に貢献。地元に残って実力を蓄え、将来は堂林と同じプロの世界に羽ばたくことを夢見ている。 (阿知波浩2)
大学日本一を呼ぶ使者になるかもしれない。「何かが起きるような雰囲気がここ(中京大野球部)にはある。ボクもその中に加わっていきたい」。昨夏の甲子園で43年ぶりに全国制覇した中京大中京高の山中主将が中京大に内部進学。昨秋はリーグ4位と低迷した名門チームだが、大学でも天下盗(と)りへと向かう運を山中が持ち込もうとする。
遊撃手としてはヤクルト・宮本型の堅守と巧打。加えて優れたリーダーシップの持ち主で包容力がある。甲子園の決勝で日本文理(新潟)の猛反撃に遭い、肝を冷やしての優勝決定後、お立ち台で自らを責め、涙を浮かべたエース兼4番・堂林の肩をたたきながら笑顔で慰めた男が山中だ。テレビ桟敷では印象的なシーン。春季キャンプ先から、その堂林が「プロの練習はやっぱりキツイ。死にそうだよ」と山中に幾度か電話連絡してきたというが、そんなグチもいま聴いてやっている。
全国優勝メンバーで、中京大の硬式野球部に進んだのは山中だけ。関東の有力大学からも誘いはあったが、断っての内部進学。夏の甲子園ではトップ打者として活躍した男としては、ちょっと寂しい気持ちはないのか。
「目標があるから、そんなことない」と山中は首を振った。「体育学部で学んで、教員資格を取ります。でも、野球は自分でやる方が楽しいから、指導者になるよりも、大学卒業後もボクは現役続行。1番の目標はやっぱりプロ」。同期の堂林と同じステージに立つ夢を追って、入学した年の春からベンチ入りしての好ダッシュを目指している。
▼山中渉伍(やまなか・しょうご) 1991(平成3)年5月10日、愛知県豊明市生まれの18歳。174センチ、74キロ、右投げ右打ち。沓掛中時代は硬式の少年野球ボーイズリーグ「東海チャレンジャー」に所属して遊撃手。車にはねられて今月13日に亡くなった愛工大名電高・徳浪康介投手は「東海チャレンジャー」の1年後輩で、仲がよかった。中京大中京高では2年春、3年の春夏に甲子園大会3度出場。最後の夏の甲子園は「1番・遊撃手」で27打数8安打3打点、打率2割9分6厘をマークし、攻守で全国優勝に貢献。
■平沼巻き返し誓う 父は中日打撃投手
甲子園経験組では、大垣日大の平沼貴晴投手も中京大に進学。父親の定晴さん(44)は千葉商大付高からドラフト2位指名で中日に1983年入団、速球派投手として活躍し、ロッテ、西武にも在籍。現在は中日の用具担当兼打撃投手。平沼ジュニアも右の本格派として期待されたが、最後の夏の岐阜大会は控え投手となって背番号は「10」に降格。「(主戦格から春以降)どんどん落ちていった感じ。悔しい思いをしたから、その分、大学で…」。こちらも体育学部で、保健体育科教諭の資格を取りたいという。
(写真)中京大に進む山中遊撃手(中央上)。平沼投手(左から3人目)ら同期入学の選手たち=愛知県豊田市の中京大グラウンドで
(2010年2月27日 中日スポーツ11面より)