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2016.06.13
全日本大学野球選手権 歓喜 日本一 中京学院大 東海地区でも初
■チャンスの5回に一気攻撃!!柳川の力投に応えた
初出場の中京学院大(東海)が決勝で中央学院大(千葉県)を5−2で下し、初優勝を遂げた。東海地区代表としても初栄冠。初出場校の優勝(第1回大会を除く)は、1993年の青学大以来、23年ぶりで7チーム目。中京学院大は2回に2点を先行すると、2−1の5回に山崎善隆捕手(4年・昭和第一学園)が2点中前打を放つなど3点を追加し、逃げ切った。打率4割7分1厘で首位打者の山崎が最高殊勲選手(MVP)、この試合2失点完投で計4勝の左腕・柳川優太投手(同・大垣日大)が最優秀投手に選ばれた。
■近藤監督に恩返し
高々と上がった打球が右翼手のグラブに収まった。その瞬間、中京学院大ナインが両手を突き上げる柳川のもとに、一斉に駆け寄った。マウンドに広がる歓喜の輪。ナインも近藤正監督(68)でさえも予期していなかった栄冠に、喜びが爆発した。
「内に秘めた闘志はいらない。全て出してくれ」。今大会で近藤監督が言い続けていた通り、気迫を前面に出した。5回は連打などで1死満塁とし、山崎が中前へ2点適時打。「打線がつながったら一気に点を取るのがうちの野球」と誇らしげに振り返る。1回戦から全5試合に登板した柳川も「肩の痛みも出ていたけれど、気持ちだけで投げました」と強調した。
初の全国舞台でひるむことなく力を発揮できたのは、今季のテーマである「エンジョイベースボール」が浸透していたから。近藤監督には岐阜・中京高を率いて5度の甲子園出場を果たしたが「生徒に厳しくし過ぎて好きな野球を嫌いにさせてしまった」という後悔がある。今は「野球を始めたころのように、純粋に好きな気持ちを大切にしたい」と自主性を尊重。試合中の指示は最小限に留め、練習でも部員の意見を取り入れてきた。
柳川や山崎を筆頭に、経済的な事情で大学で野球をやるつもりがなかった選手も数多い。高校卒業後は就職するつもりだった柳川は、近藤監督に「野球を諦めるな」と誘われて入学。生活費や道具代を稼ぐために2つのアルバイトを掛け持ちし、練習との両立に苦心している。「好きな野球を続けさせてくれた近藤監督に恩返しできた。うれしい気持ちでいっぱい」と感謝を込める。
どのチームよりも野球そのものを楽しみ、のびのびとしたプレーを見せたナイン。優勝候補を次々と撃破してつかんだ日本一は、エンジョイベースボールを極めた結果だった。 (平野梓)
■山崎 MVPだ
5回の2点適時打で優勝をたぐり寄せた中京学院大の主将・山崎は大会通算17打数8安打の打率4割7分1厘で首位打者を獲得。全5試合で打点を挙げる(計7打点)活躍でMVPにも選ばれた。「MVPも首位打者も取れるとは思っていなかったので、うれしい気持ちでいっぱいです。みんなで勝ち取った優勝です」と目を細めた。
■柳川 全5戦登板 4勝
中京学院大のエース・柳川が、大学日本代表選考合宿の参加メンバーに追加された。1回戦から全5試合で33イニング1/3を投げ、4勝(1完封)を挙げて防御率1・08。7日間で投げた球数は491にのぼる。大会の最優秀投手にも輝いた左腕は「自分の良さをアピールできるよう、しっかり身体を休めて(合宿に)臨みたい」と意気込んだ。
■代表候補に柳川追加
全日本大学野球連盟は12日、日米大学選手権(7月12日開幕)の日本代表候補に13人を追加したと発表した。全日本大学選手権で初優勝した中京学院大からは柳川投手が選ばれ、既に選出されている吉川内野手と2人が候補になった。17日から選考合宿を始め、19日に代表メンバーが決まる。
◆初出場Vは史上7校目 初出場校の優勝は1952年の第1回大会の慶大を除いて過去6校。ほとんどが大会初期で、53年の立大、54年の明大、56年の関西大、60年の法大、71年の亜大、93年の青学大に次いで、中京学院大が史上7校目。
▼中京学院大 1993年、岐阜県中津川市に開学。野球部も同年創部。90年に同市に移転した中京短期大学経営学科を拡充した形で、経営学部のほかに看護学部、短期大学部(保育科、健康栄養学科)がある。63年に岐阜・中京高を開校した学校法人安達学園が経営母体で、創立者・安達壽雄は、中京大などを運営する学校法人梅村学園の創立者・梅村清光の次男。建学の精神は、梅村学園と同じ「学術とスポーツの真剣味の殿堂たれ」を掲げる。学生数は1284人。硬式野球のほかに、軟式野球、レスリング、ソフトボールなどが盛ん。主な卒業生はプロ野球広島の菊池涼介。
▽決勝
中京学院大(東海) 020030000―5
中央学院大(千葉) 000100001―2
(中京学院大は初優勝)
(2016年6月13日 中日スポーツ9面より)
初出場の中京学院大(東海)が決勝で中央学院大(千葉県)を5−2で下し、初優勝を遂げた。東海地区代表としても初栄冠。初出場校の優勝(第1回大会を除く)は、1993年の青学大以来、23年ぶりで7チーム目。中京学院大は2回に2点を先行すると、2−1の5回に山崎善隆捕手(4年・昭和第一学園)が2点中前打を放つなど3点を追加し、逃げ切った。打率4割7分1厘で首位打者の山崎が最高殊勲選手(MVP)、この試合2失点完投で計4勝の左腕・柳川優太投手(同・大垣日大)が最優秀投手に選ばれた。
■近藤監督に恩返し
高々と上がった打球が右翼手のグラブに収まった。その瞬間、中京学院大ナインが両手を突き上げる柳川のもとに、一斉に駆け寄った。マウンドに広がる歓喜の輪。ナインも近藤正監督(68)でさえも予期していなかった栄冠に、喜びが爆発した。
「内に秘めた闘志はいらない。全て出してくれ」。今大会で近藤監督が言い続けていた通り、気迫を前面に出した。5回は連打などで1死満塁とし、山崎が中前へ2点適時打。「打線がつながったら一気に点を取るのがうちの野球」と誇らしげに振り返る。1回戦から全5試合に登板した柳川も「肩の痛みも出ていたけれど、気持ちだけで投げました」と強調した。
初の全国舞台でひるむことなく力を発揮できたのは、今季のテーマである「エンジョイベースボール」が浸透していたから。近藤監督には岐阜・中京高を率いて5度の甲子園出場を果たしたが「生徒に厳しくし過ぎて好きな野球を嫌いにさせてしまった」という後悔がある。今は「野球を始めたころのように、純粋に好きな気持ちを大切にしたい」と自主性を尊重。試合中の指示は最小限に留め、練習でも部員の意見を取り入れてきた。
柳川や山崎を筆頭に、経済的な事情で大学で野球をやるつもりがなかった選手も数多い。高校卒業後は就職するつもりだった柳川は、近藤監督に「野球を諦めるな」と誘われて入学。生活費や道具代を稼ぐために2つのアルバイトを掛け持ちし、練習との両立に苦心している。「好きな野球を続けさせてくれた近藤監督に恩返しできた。うれしい気持ちでいっぱい」と感謝を込める。
どのチームよりも野球そのものを楽しみ、のびのびとしたプレーを見せたナイン。優勝候補を次々と撃破してつかんだ日本一は、エンジョイベースボールを極めた結果だった。 (平野梓)
■山崎 MVPだ
5回の2点適時打で優勝をたぐり寄せた中京学院大の主将・山崎は大会通算17打数8安打の打率4割7分1厘で首位打者を獲得。全5試合で打点を挙げる(計7打点)活躍でMVPにも選ばれた。「MVPも首位打者も取れるとは思っていなかったので、うれしい気持ちでいっぱいです。みんなで勝ち取った優勝です」と目を細めた。
■柳川 全5戦登板 4勝
中京学院大のエース・柳川が、大学日本代表選考合宿の参加メンバーに追加された。1回戦から全5試合で33イニング1/3を投げ、4勝(1完封)を挙げて防御率1・08。7日間で投げた球数は491にのぼる。大会の最優秀投手にも輝いた左腕は「自分の良さをアピールできるよう、しっかり身体を休めて(合宿に)臨みたい」と意気込んだ。
■代表候補に柳川追加
全日本大学野球連盟は12日、日米大学選手権(7月12日開幕)の日本代表候補に13人を追加したと発表した。全日本大学選手権で初優勝した中京学院大からは柳川投手が選ばれ、既に選出されている吉川内野手と2人が候補になった。17日から選考合宿を始め、19日に代表メンバーが決まる。
◆初出場Vは史上7校目 初出場校の優勝は1952年の第1回大会の慶大を除いて過去6校。ほとんどが大会初期で、53年の立大、54年の明大、56年の関西大、60年の法大、71年の亜大、93年の青学大に次いで、中京学院大が史上7校目。
▼中京学院大 1993年、岐阜県中津川市に開学。野球部も同年創部。90年に同市に移転した中京短期大学経営学科を拡充した形で、経営学部のほかに看護学部、短期大学部(保育科、健康栄養学科)がある。63年に岐阜・中京高を開校した学校法人安達学園が経営母体で、創立者・安達壽雄は、中京大などを運営する学校法人梅村学園の創立者・梅村清光の次男。建学の精神は、梅村学園と同じ「学術とスポーツの真剣味の殿堂たれ」を掲げる。学生数は1284人。硬式野球のほかに、軟式野球、レスリング、ソフトボールなどが盛ん。主な卒業生はプロ野球広島の菊池涼介。
▽決勝
中京学院大(東海) 020030000―5
中央学院大(千葉) 000100001―2
(中京学院大は初優勝)
(2016年6月13日 中日スポーツ9面より)