HOME > 中日新聞掲載の大学記事 > 全て
2015.08.22
守りきるか 雪辱なるか 天皇杯サッカー県代表 きょう決勝 四日市大
天皇杯全日本サッカー選手権大会の県代表を決める県サッカー選手権大会(中日新聞社共催)が22日午後2時4分から、四日市市中央緑地陸上競技場である。社会人代表はTSV1973四日市、学生代表は四日市大と、市内のチーム同士の対戦となった。2年前にも決勝でぶつかった両チームを紹介する。(吉岡雅幸)
■TSV1973四日市 好機逃さず得点を
2年前の優勝チームで、三重教員サッカークラブの流れをくむ。昨年まではスポンサー名を出して「マインドハウス四日市」として活動していた。今春に小中学生チームを展開する「FC四日市」と合併。ドイツ語で総合型スポーツクラブを意味するTSVと、県リーグを初制覇した1973年にちなんで改称した。
教員のほかにも会社員、公務員、学生らが仕事や学業の合間に週2回集まり、四日市中央工業高校(四日市市菅原町)で練習する。守備の要の小川真吾選手や得点源の花井恭平選手ら主力は経験豊富な30歳前後が中心。守りを固め、したたかに相手の隙を狙う。
今季は東海社会人リーグ2部で8チーム中7位と苦戦するが、県社会人選手権は決勝で昨年の天皇杯県代表のヴィアティン三重を延長戦の末に破って優勝した。中西伸之監督は「少ない好機にきちんと得点したい」、秋月和英主将は「内容より結果にこだわる」と力を込める。
■四日市大 攻守切り替え早い
2年前の決勝は1−2で惜敗。渥美昭吾監督は「当時と比べると選手に落ち着きがあり、好不調の波が少なくなった。雪辱を果たしたい」と意気込む。
1988年の開学と同時に創部された。日本リーグの本田技研工業で活躍した元日本代表の伊藤直司さん(現総監督)が96年に監督に就任してから強化が始まった。東海学生リーグ4部から2003年に1部へ昇格。県学生選手権で、現在、10連覇を果たしている。
今季は東海学生リーグ1部で前期は10チーム中8位。選手と布陣をこまめにかえ、能力や組み合わせの見極めに重点を置いた。リーグ戦中断期間の夏までに、攻撃を引っ張る樋尾海人選手と鈴木康太選手、中盤の底でピンチの芽を摘む鈴木琢矢選手らが軸となる戦い方を整えた。
県選手権は04年〜10年に4回優勝したが、過去4年は頂点を逃した。平野佳幸主将は「学生らしく運動量を生かし、攻守の切り替えが早いサッカーをしたい」と話す。
(2015年8月22日 中日新聞朝刊北勢版より)
■TSV1973四日市 好機逃さず得点を
2年前の優勝チームで、三重教員サッカークラブの流れをくむ。昨年まではスポンサー名を出して「マインドハウス四日市」として活動していた。今春に小中学生チームを展開する「FC四日市」と合併。ドイツ語で総合型スポーツクラブを意味するTSVと、県リーグを初制覇した1973年にちなんで改称した。
教員のほかにも会社員、公務員、学生らが仕事や学業の合間に週2回集まり、四日市中央工業高校(四日市市菅原町)で練習する。守備の要の小川真吾選手や得点源の花井恭平選手ら主力は経験豊富な30歳前後が中心。守りを固め、したたかに相手の隙を狙う。
今季は東海社会人リーグ2部で8チーム中7位と苦戦するが、県社会人選手権は決勝で昨年の天皇杯県代表のヴィアティン三重を延長戦の末に破って優勝した。中西伸之監督は「少ない好機にきちんと得点したい」、秋月和英主将は「内容より結果にこだわる」と力を込める。
■四日市大 攻守切り替え早い
2年前の決勝は1−2で惜敗。渥美昭吾監督は「当時と比べると選手に落ち着きがあり、好不調の波が少なくなった。雪辱を果たしたい」と意気込む。
1988年の開学と同時に創部された。日本リーグの本田技研工業で活躍した元日本代表の伊藤直司さん(現総監督)が96年に監督に就任してから強化が始まった。東海学生リーグ4部から2003年に1部へ昇格。県学生選手権で、現在、10連覇を果たしている。
今季は東海学生リーグ1部で前期は10チーム中8位。選手と布陣をこまめにかえ、能力や組み合わせの見極めに重点を置いた。リーグ戦中断期間の夏までに、攻撃を引っ張る樋尾海人選手と鈴木康太選手、中盤の底でピンチの芽を摘む鈴木琢矢選手らが軸となる戦い方を整えた。
県選手権は04年〜10年に4回優勝したが、過去4年は頂点を逃した。平野佳幸主将は「学生らしく運動量を生かし、攻守の切り替えが早いサッカーをしたい」と話す。
(2015年8月22日 中日新聞朝刊北勢版より)