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2014.10.23
足跡に学ぶ 「前畑がんばれ」 生誕100年 椙山女学園で記念展
1936(昭和11)年のベルリン五輪水泳200メートル女子平泳ぎ決勝で、NHKラジオアナウンサーが繰り返し絶叫した「前畑がんばれ」。多くの人の記憶に刻まれた日本女性初の五輪金メダリスト、前畑秀子さん(1914〜95年)の生誕100年記念展が、母校の椙山女学園(千種区星が丘元町)にある椙山歴史文化館で開かれている。(梅田歳晴)
「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」。記念展の会場では、ラジオ放送のレコードから録音した当時の決勝戦の実況音声が流れる。シベリア鉄道などに乗って2カ月かけて行ったベルリン五輪の日記、実際に使った旅行かばん、遺品のアルバムなどから選んだ写真、当時の新聞記事など計240点が並ぶ。
28(同3)年のアムステルダム五輪陸上800メートルで日本女性初のメダリスト(銀)となり、その後記者になった人見絹枝(1907〜31年)と親交があったことを示す写真など初公開の史料もある。決勝前日の日記には「食事がのどに通らない」と緊張感を漂わせる記述もある。
当時、女性は女学校を出たら結婚するのが一般的で、女性が水着を着ること自体をよく思わない人もいた。前畑さんは女性の自己実現や地位向上に大きな役割を果たし、水泳の普及や後進の育成に熱心に取り組んだ功績もある。
展示は前畑さんの人生を小学校時代、椙山時代ロサンゼルス五輪、同ベルリン五輪、結婚と家庭・生涯スポーツ、病気克服以降の時代とおおまかに5つに分けてある。
椙山美恵子館長(72)は「どういう一生をたどった人なのか。その時々で、どういう人たちとつながってきたのか。そこから学ぶことがある。最後まで頑張り抜いた努力も知ってほしい」と話している。
記念展は前畑さんの出身地である和歌山県橋本市の橋本まちかど博物館、市郷土資料館と同時開催。椙山歴史文化館(大学中央図書館四階)では来年5月29日までの期間中、水曜、金曜午前10時〜午後5時に見学できる。
25日午前10時半から大学会館3階で、特別記念座談会・講演会を開く。座談会は椙山女学園中・高校の当時の水泳クラブ員、現役クラブ員らが出席。講演会の講師は椙山女学園大人間関係学部の非常勤講師、木村華織さん。記念展見学も座談会・講演会も事前予約が必要。(問)同文化館=052(781)1186
▼前畑秀子 和歌山県旧橋本町(現・橋本市)生まれ。地元の紀の川で泳ぎを覚え、小学5年の時、女子50メートル平泳ぎで学童新記録。16歳で椙山女学園に編入し、32年ロサンゼルス五輪で銀メダルを獲得。4年間、毎日2万メートルを泳ぐ練習を積み、36年ベルリン五輪で金メダルを取った。引退後は結婚し兵藤姓となり、椙山の医務室勤務の傍ら水泳教室を開く。83年に脳出血で倒れたがリハビリで復帰し、半身まひの残る状態で指導を続け、80歳で亡くなった。
(2014年10月23日 中日新聞朝刊市民版より)
「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」。記念展の会場では、ラジオ放送のレコードから録音した当時の決勝戦の実況音声が流れる。シベリア鉄道などに乗って2カ月かけて行ったベルリン五輪の日記、実際に使った旅行かばん、遺品のアルバムなどから選んだ写真、当時の新聞記事など計240点が並ぶ。
28(同3)年のアムステルダム五輪陸上800メートルで日本女性初のメダリスト(銀)となり、その後記者になった人見絹枝(1907〜31年)と親交があったことを示す写真など初公開の史料もある。決勝前日の日記には「食事がのどに通らない」と緊張感を漂わせる記述もある。
当時、女性は女学校を出たら結婚するのが一般的で、女性が水着を着ること自体をよく思わない人もいた。前畑さんは女性の自己実現や地位向上に大きな役割を果たし、水泳の普及や後進の育成に熱心に取り組んだ功績もある。
展示は前畑さんの人生を小学校時代、椙山時代ロサンゼルス五輪、同ベルリン五輪、結婚と家庭・生涯スポーツ、病気克服以降の時代とおおまかに5つに分けてある。
椙山美恵子館長(72)は「どういう一生をたどった人なのか。その時々で、どういう人たちとつながってきたのか。そこから学ぶことがある。最後まで頑張り抜いた努力も知ってほしい」と話している。
記念展は前畑さんの出身地である和歌山県橋本市の橋本まちかど博物館、市郷土資料館と同時開催。椙山歴史文化館(大学中央図書館四階)では来年5月29日までの期間中、水曜、金曜午前10時〜午後5時に見学できる。
25日午前10時半から大学会館3階で、特別記念座談会・講演会を開く。座談会は椙山女学園中・高校の当時の水泳クラブ員、現役クラブ員らが出席。講演会の講師は椙山女学園大人間関係学部の非常勤講師、木村華織さん。記念展見学も座談会・講演会も事前予約が必要。(問)同文化館=052(781)1186
▼前畑秀子 和歌山県旧橋本町(現・橋本市)生まれ。地元の紀の川で泳ぎを覚え、小学5年の時、女子50メートル平泳ぎで学童新記録。16歳で椙山女学園に編入し、32年ロサンゼルス五輪で銀メダルを獲得。4年間、毎日2万メートルを泳ぐ練習を積み、36年ベルリン五輪で金メダルを取った。引退後は結婚し兵藤姓となり、椙山の医務室勤務の傍ら水泳教室を開く。83年に脳出血で倒れたがリハビリで復帰し、半身まひの残る状態で指導を続け、80歳で亡くなった。
(2014年10月23日 中日新聞朝刊市民版より)