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2014.04.06
元名商大監督・杉浦さん死去 75歳心不全 元中日・大豊ら育ての親
元名商大硬式野球部監督の杉浦計司(すぎうら・けいし)さんが4日午前6時7分、心不全のため名古屋市の病院で死去した。75歳。名古屋市出身。通夜は6日午後6時から、葬儀・告別式は7日午前10時半から、名古屋市天白区植田南3の101、葬儀会館ナゴヤ植田斎苑で。喪主は妻悦子(えつこ)さん。
現役時代は投手で、東邦高から社会人に進んだ後に名商大に入学。卒業後、社会人の辻和でプレーし、1965年に名商大の監督に就任した。就任当初は専用グラウンドがなく、電車に荷物を積んで練習場を回るなど、熱心な指導で名商大の土台を作り上げた。96年の退任まで、リーグ優勝5度。また、平野謙や大豊泰昭、音重鎮(いずれも元中日など)らのプロ選手を育て、退任後は愛知大学野球連盟の事務局長などを務めた。
家族によると、杉浦さんは3日深夜の入浴中に意識を失い、救急搬送した際には心肺停止の状態だったという。5日が76回目の誕生日で、家族は自宅でケーキなどで祝おうと計画していたという。
▽中日・音重鎮スカウト(名商大OB、元中日外野手)「年末にお会いしたばかりで、その時は元気だった。威厳があって怖い監督でしたが、入学した時は選手を平等に扱ってくれた。僕がプロになってからは『目いっぱいやれよ』と励ましてくれた。口ではうるさいことを言っても、気持ちは優しい方でした」
■試合気持ち入った 中村現監督
名商大の中村順司監督は、1965年の杉浦監督就任と同時に入学した教え子の1人。「1年秋から遊撃で使ってもらって、三遊間のゴロのさばき方を教えてもらった。私が監督になってからも、最近の子の指導の仕方をアドバイスしてもらった」と残念そうに話した。この日は2部開幕の名経大戦で、7回コールド勝ちした。
中村監督は「『1部に上がれ』と杉浦さんからハッパを掛けられていたので、そういう気持ちで試合に入った」と振り返った。
(2014年4月6日 中日スポーツ10面より)
現役時代は投手で、東邦高から社会人に進んだ後に名商大に入学。卒業後、社会人の辻和でプレーし、1965年に名商大の監督に就任した。就任当初は専用グラウンドがなく、電車に荷物を積んで練習場を回るなど、熱心な指導で名商大の土台を作り上げた。96年の退任まで、リーグ優勝5度。また、平野謙や大豊泰昭、音重鎮(いずれも元中日など)らのプロ選手を育て、退任後は愛知大学野球連盟の事務局長などを務めた。
家族によると、杉浦さんは3日深夜の入浴中に意識を失い、救急搬送した際には心肺停止の状態だったという。5日が76回目の誕生日で、家族は自宅でケーキなどで祝おうと計画していたという。
▽中日・音重鎮スカウト(名商大OB、元中日外野手)「年末にお会いしたばかりで、その時は元気だった。威厳があって怖い監督でしたが、入学した時は選手を平等に扱ってくれた。僕がプロになってからは『目いっぱいやれよ』と励ましてくれた。口ではうるさいことを言っても、気持ちは優しい方でした」
■試合気持ち入った 中村現監督
名商大の中村順司監督は、1965年の杉浦監督就任と同時に入学した教え子の1人。「1年秋から遊撃で使ってもらって、三遊間のゴロのさばき方を教えてもらった。私が監督になってからも、最近の子の指導の仕方をアドバイスしてもらった」と残念そうに話した。この日は2部開幕の名経大戦で、7回コールド勝ちした。
中村監督は「『1部に上がれ』と杉浦さんからハッパを掛けられていたので、そういう気持ちで試合に入った」と振り返った。
(2014年4月6日 中日スポーツ10面より)