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2012.05.03
亡き友つなぐ絵画展 名芸大同級生30年ぶり集結
旧友の死が、約30年ぶりに同級生をつないだ。2000年に建設作業中の事故で亡くなった名古屋芸術大(愛知県北名古屋市)の7期生松岡邦彦さん=当時(43)=をしのび、同級生たちが卒業後初めて集まった絵画展が、6日まで名古屋市東区の東桜会館で開かれている。
水彩絵の具やクレヨンに、マジックまで使って描いた抽象画。デッサン帳に、若き日の松岡さんの情熱がそのまま映し出されている。「学生のころはこんなの描いとったなあ」。1年後輩の美術教諭木本喜之さん(55)がしみじみと語った。
松岡さんは陽気な性格で人望を集め、北名古屋市内の下宿先は毎晩、同級生や後輩であふれた。「学校の技法論はつまらない」と話し、学外から現代美術家を呼び勉強会を開いた。「いつもみんなの中心にいたね」と同級生の中井吉英さん(54)。卒業後は互いに仕事で多忙になり、年賀状だけの付き合いとなった。
絵を描くアルバイトを経て、「食べていくために」(同級生)建設業に就いた松岡さんは高所作業中に足場から転落。頭を強く打って亡くなった。
展覧会は、夫が亡くなった時と同じ年齢を迎えた妻の祐美さん(岐阜県恵那市)が、中井さんに相談して実現した。ひそかに創作を続けていた夫の姿に「恥ずかしがりな本人は嫌がると思うけど、なんとか作品に日の目を見せたい」と思っていたという。
中井さんの呼びかけに応じて集まったのは級友、後輩14人と恩師4人。大分県や長崎県に住み、葬儀には出られなかった仲間も参加した。「彼だったから人が集まったんだと思う。彼がみんなを呼んだんだよ」と中井さんは言う。
会場には、原色の線と幾何学模様が人の形や風景を浮かび上がらせる松岡さんの作品27点と、18人の作品34点が並ぶ。当時、毎晩集まった下宿のにぎわいがよみがえった。「彼の生きた足跡を、多くの方に見てもらいたい」と中井さん。30年ぶりの作品展は、旧友や家族の思いが詰まっている。
(2012年5月3日 中日新聞朝刊29面より)
水彩絵の具やクレヨンに、マジックまで使って描いた抽象画。デッサン帳に、若き日の松岡さんの情熱がそのまま映し出されている。「学生のころはこんなの描いとったなあ」。1年後輩の美術教諭木本喜之さん(55)がしみじみと語った。
松岡さんは陽気な性格で人望を集め、北名古屋市内の下宿先は毎晩、同級生や後輩であふれた。「学校の技法論はつまらない」と話し、学外から現代美術家を呼び勉強会を開いた。「いつもみんなの中心にいたね」と同級生の中井吉英さん(54)。卒業後は互いに仕事で多忙になり、年賀状だけの付き合いとなった。
絵を描くアルバイトを経て、「食べていくために」(同級生)建設業に就いた松岡さんは高所作業中に足場から転落。頭を強く打って亡くなった。
展覧会は、夫が亡くなった時と同じ年齢を迎えた妻の祐美さん(岐阜県恵那市)が、中井さんに相談して実現した。ひそかに創作を続けていた夫の姿に「恥ずかしがりな本人は嫌がると思うけど、なんとか作品に日の目を見せたい」と思っていたという。
中井さんの呼びかけに応じて集まったのは級友、後輩14人と恩師4人。大分県や長崎県に住み、葬儀には出られなかった仲間も参加した。「彼だったから人が集まったんだと思う。彼がみんなを呼んだんだよ」と中井さんは言う。
会場には、原色の線と幾何学模様が人の形や風景を浮かび上がらせる松岡さんの作品27点と、18人の作品34点が並ぶ。当時、毎晩集まった下宿のにぎわいがよみがえった。「彼の生きた足跡を、多くの方に見てもらいたい」と中井さん。30年ぶりの作品展は、旧友や家族の思いが詰まっている。
(2012年5月3日 中日新聞朝刊29面より)