HOME > 中日新聞掲載の大学記事 > 全て
2012.01.24
緻密さにじむ博物画 名大の母体 愛知医学校教諭 奈良坂源一郎
■実物そっくり80点展示
名古屋大の母体となった愛知医学校の教諭を務めた解剖学者、奈良坂源一郎(1854〜1934年)の博物画の展示が2月29日まで、千種区の名大博物館で開かれている。奈良坂は徳川美術館(東区)の元になった国内初の私立博物館「愛知教育博物館」の設立に尽力したことで知られている。展示イベントは入場無料。(中村禎一郎)
奈良坂は、宮城県東松島市で仙台藩士の長男として誕生。父親から狩野派の画法を学び、明治維新後に医師を目指して東京大医学部に進学した。同級生には森鴎外(1862〜1922年)がいる。
愛知医学校には1881年に教諭として赴任。幼いころから右手が動かなかったが、左手で絵を描き続けた。医師としては臨床に出られず、解剖の研究に打ち込んだ。
日本の解剖学の草分けの1人だが、博物学にも精通。名古屋博物会というグループを設立し、義援金を集めて愛知教育博物館構想を実現させた。
教師としては学生に厳しく、なかなか及第点を与えない姿勢を「浅い川なら渡れもしたが/越すに越されぬ奈良の坂」と詠まれたという。
奈良坂の親族が2004年に博物画や書道作品、はがき、卒業証書など5000点を名大博物館に寄贈。今回は寄贈品など80点を紹介する。
魚のうろこ1枚1枚やトンボの羽に入った筋の1本1本まで実物そっくりの色の顔料を使って精密に描いた作品の複製が並んでいる。本物の作品もケースに入れて飾られた。
展示会を企画した門脇誠二助教は「奈良坂はこの地方の博物学にとっても、名大にとっても重要な人物」と説明する。31日午後1時半からは、名大の高橋昭名誉教授が「医学とチョウ」、愛知大法学部の加藤詔士教授が「奈良坂と愛知教育博物館」と題して名大博物館で講演する。展示会(午前10時〜午後4時)も講演も入場無料。日、月曜休館。
(2012年1月24日 中日新聞朝刊市民版より)
名古屋大の母体となった愛知医学校の教諭を務めた解剖学者、奈良坂源一郎(1854〜1934年)の博物画の展示が2月29日まで、千種区の名大博物館で開かれている。奈良坂は徳川美術館(東区)の元になった国内初の私立博物館「愛知教育博物館」の設立に尽力したことで知られている。展示イベントは入場無料。(中村禎一郎)
奈良坂は、宮城県東松島市で仙台藩士の長男として誕生。父親から狩野派の画法を学び、明治維新後に医師を目指して東京大医学部に進学した。同級生には森鴎外(1862〜1922年)がいる。
愛知医学校には1881年に教諭として赴任。幼いころから右手が動かなかったが、左手で絵を描き続けた。医師としては臨床に出られず、解剖の研究に打ち込んだ。
日本の解剖学の草分けの1人だが、博物学にも精通。名古屋博物会というグループを設立し、義援金を集めて愛知教育博物館構想を実現させた。
教師としては学生に厳しく、なかなか及第点を与えない姿勢を「浅い川なら渡れもしたが/越すに越されぬ奈良の坂」と詠まれたという。
奈良坂の親族が2004年に博物画や書道作品、はがき、卒業証書など5000点を名大博物館に寄贈。今回は寄贈品など80点を紹介する。
魚のうろこ1枚1枚やトンボの羽に入った筋の1本1本まで実物そっくりの色の顔料を使って精密に描いた作品の複製が並んでいる。本物の作品もケースに入れて飾られた。
展示会を企画した門脇誠二助教は「奈良坂はこの地方の博物学にとっても、名大にとっても重要な人物」と説明する。31日午後1時半からは、名大の高橋昭名誉教授が「医学とチョウ」、愛知大法学部の加藤詔士教授が「奈良坂と愛知教育博物館」と題して名大博物館で講演する。展示会(午前10時〜午後4時)も講演も入場無料。日、月曜休館。
(2012年1月24日 中日新聞朝刊市民版より)