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2010.07.07
恩師に出会い日本語上達 『謝謝』奉仕で恩返し
■中国人大学生の樊さん(岡崎) 地元の情報誌を翻訳 同胞への言葉指導も
わずか4年前に中国から移り住んだ岡崎市江口の樊睿(ファンエイ)さん(20)は、努力と、ある恩師との出会いによって驚異的なスピードで日本語を習得。今年4月に南山大1年生となり、外国人向けの情報誌「岡崎ニュース」の中国語版の翻訳者を買って出るなど、語学能力を生かしたボランティアを始めた。(相坂穣)
1990年3月、中国東北部の瀋陽生まれ。父親が機械製造の技術者として岡崎市内の会社で働くことになり、地元の中学を卒業後の2006年3月に両親と来日した。
高校進学を目指したが、受験資格として課せられたのは日本語能力検定試験2級の取得。「話せたのは、あいさつぐらい。あいうえおも書けない」という状態で、門をたたいたのが市外国人交流支援センター(OICC)の日本語教室。そこで、ボランティア講師の山本佳明さん(67)に出会った。
「積極的に日本の人や文化に触れなさい」。山本さんのアドバイスに従って、市が主催する名所見学のバスツアーに参加するなどしていたところ、みるみる言葉が理解できるように。多くの外国人が2、3年かかって取得するという同検定2級を約半年で突破。同市大西町の光ケ丘女子高校に進学を果たした。
高校では勉強の傍ら友達も多くでき、日本での生活を楽しんだ。そして興味を持ったのがメーク。「日本の女子高生のように中国の女の子にも、おしゃれしてもらいたい。いつか自分で国際的な化粧品会社を経営したい」という夢を描く。
「山本先生がいなければ、今の自分はなかった。恩返しをしたい」。大学在学中はボランティアに打ち込むことを決めた。
手始めに、市内の有志が外国出身の住民に、日本の祭りや習慣を紹介しようとOICCなどで無料配布している「岡崎ニュース」の翻訳に挑み、今月1日に待望の中国語版の「岡崎新聞」の創刊にこぎ着けた。山本さんの教室の指導助手としても活動し、中国人の同胞に地域に溶け込むことの大切さを伝えていくつもりだ。
(2010年7月7日 中日新聞朝刊西三河版より)
わずか4年前に中国から移り住んだ岡崎市江口の樊睿(ファンエイ)さん(20)は、努力と、ある恩師との出会いによって驚異的なスピードで日本語を習得。今年4月に南山大1年生となり、外国人向けの情報誌「岡崎ニュース」の中国語版の翻訳者を買って出るなど、語学能力を生かしたボランティアを始めた。(相坂穣)
1990年3月、中国東北部の瀋陽生まれ。父親が機械製造の技術者として岡崎市内の会社で働くことになり、地元の中学を卒業後の2006年3月に両親と来日した。
高校進学を目指したが、受験資格として課せられたのは日本語能力検定試験2級の取得。「話せたのは、あいさつぐらい。あいうえおも書けない」という状態で、門をたたいたのが市外国人交流支援センター(OICC)の日本語教室。そこで、ボランティア講師の山本佳明さん(67)に出会った。
「積極的に日本の人や文化に触れなさい」。山本さんのアドバイスに従って、市が主催する名所見学のバスツアーに参加するなどしていたところ、みるみる言葉が理解できるように。多くの外国人が2、3年かかって取得するという同検定2級を約半年で突破。同市大西町の光ケ丘女子高校に進学を果たした。
高校では勉強の傍ら友達も多くでき、日本での生活を楽しんだ。そして興味を持ったのがメーク。「日本の女子高生のように中国の女の子にも、おしゃれしてもらいたい。いつか自分で国際的な化粧品会社を経営したい」という夢を描く。
「山本先生がいなければ、今の自分はなかった。恩返しをしたい」。大学在学中はボランティアに打ち込むことを決めた。
手始めに、市内の有志が外国出身の住民に、日本の祭りや習慣を紹介しようとOICCなどで無料配布している「岡崎ニュース」の翻訳に挑み、今月1日に待望の中国語版の「岡崎新聞」の創刊にこぎ着けた。山本さんの教室の指導助手としても活動し、中国人の同胞に地域に溶け込むことの大切さを伝えていくつもりだ。
(2010年7月7日 中日新聞朝刊西三河版より)