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イベント 2018.06.25
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「豊川発展に多くの犠牲」 海軍工廠平和公園 開園記念のシンポ 愛大名誉教授が講演
豊川市が旧豊川海軍工廠(こうしょう)跡地に整備した「豊川海軍工廠平和公園」の開園を記念したシンポジウムが24日、同市文化会館であり、米軍空襲で2500人以上の犠牲者を出した同工廠の元工員らもパネリストとして参加した。
記念講演では平和公園の整備に関わった愛知大名誉教授の藤田佳久さんが、工廠の歴史や戦後の復興などについて語った。藤田さんは「戦争中、豊川市は軍需工業都市になったが、戦後はその遺産を活用して平和産業で発展した。多くの犠牲者があったという原点を市民で共有していけたら」と話した。
シンポでは、パネリストに元工員らでつくる「八七会」の大石辰己会長や、「豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会」の伊藤泰正会長らが登壇。大石さんは、工廠から少し離れた疎開工場で、爆撃で人が吹き飛ばされるさまなどを目撃し、「駆けつけると死人の山で、地獄絵図だった。後世に伝えていこうと思うが、今でも涙が出てくる」と振り返った。
シンポの途中、今月9日の開園時に平和の尊さを歌った代田小学校児童の歌が流され、約250人の参加者が聴き入った。(吉田幸雄)
(2018年6月25日 中日新聞朝刊三河版より)
記念講演では平和公園の整備に関わった愛知大名誉教授の藤田佳久さんが、工廠の歴史や戦後の復興などについて語った。藤田さんは「戦争中、豊川市は軍需工業都市になったが、戦後はその遺産を活用して平和産業で発展した。多くの犠牲者があったという原点を市民で共有していけたら」と話した。
シンポでは、パネリストに元工員らでつくる「八七会」の大石辰己会長や、「豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会」の伊藤泰正会長らが登壇。大石さんは、工廠から少し離れた疎開工場で、爆撃で人が吹き飛ばされるさまなどを目撃し、「駆けつけると死人の山で、地獄絵図だった。後世に伝えていこうと思うが、今でも涙が出てくる」と振り返った。
シンポの途中、今月9日の開園時に平和の尊さを歌った代田小学校児童の歌が流され、約250人の参加者が聴き入った。(吉田幸雄)
(2018年6月25日 中日新聞朝刊三河版より)