進学ナビ

HOME > 中日新聞掲載の大学記事 > お知らせ

中日新聞掲載の大学記事

お知らせ  2018.04.07

この記事の関連大学

イラク古代文明に光 クルド人自治区 中部大など考古学調査

ヤシン・テペ遺跡での日本隊の発掘風景=イラク北部クルド人自治区スレイマニヤ県で(西山伸一准教授提供)

ヤシン・テペ遺跡での日本隊の発掘風景=イラク北部クルド人自治区スレイマニヤ県で(西山伸一准教授提供)

■政情不安定 文化支援にも尽力

 イラクからの独立運動や中央政府との衝突など、混乱の続く同国北部のクルド人自治区。渡航には危険が伴うが、この地域にはメソポタミア文明などの遺跡があり、外国隊が盛んに調査している。日本からは唯一、中部大(愛知県春日井市)などの隊が調査をしており、昨年は貴重な未盗掘の墓を発見。また隊員らは現地の博物館を私費で支援するなどして結びつきを深めている。困難な状況に負けず、考古学者たちが挙げた成果の一端を報告する。(川原田喜子)

 まずは世界史のおさらいから。現在のイラクは、最古の文明の1つであるメソポタミア文明の中心地。考古学にとっては重要な地域だ、このうちクルド人の自治区には、紀元前10〜7世紀に栄えたアッシリア帝国などの遺跡が残っており、20世紀半ばから注目を浴びてきた。

 各国の研究者らが現地で調査をしてきたが、90年代以降は湾岸戦争やイラク戦争の影響で渡航が困難に。しかし戦後はイラク国内でも比較的早く復興が進み、2010年ごろから再び各国の調査隊が入り始めた。

 現在は、欧米などの約50隊が活動している。日本からは、中部大や筑波大などの組織する調査隊が、14年から年1、2回の調査に赴く。

 中部大の西山伸一准教授(50)によると、日本隊は昨年8〜9月、スレイマニヤ県の「ヤシン・テペ遺跡」で、紀元前8〜7世紀ごろのアッシリア帝国時代の未盗掘の墓を見つけた。この地域で破壊や副葬品の盗難がない墓が丸ごと出土するのは珍しいといい、貴重な発見となった。

 墓があったのは、遺跡にある大きな邸宅跡の中庭部分。地表から約1メートルの深さに、レンガ造りの墓室が埋まっていた。幅1.6メートル、奥行き2.7メートル、高さ1.2メートルで、浴槽のような形をした土器の棺(ひつぎ)と5人分の人骨が見つかった。女性の手の骨には金の指輪が残っており、高い身分の被葬者だったとみられる。

 さらに特筆されるのが、墓室から見つかった青銅製のランプ。アッシリア帝国の最初の首都アッシュールの王族の墓にあったものとほぼ同じだったのだ。加えて、墓の構造や、棺に施されたロープの模様も似ていた。

 この遺跡が位置するのは、アッシリア領では東の端に当たる地域。そこでも中心部と同じ副葬品などが見つかったことは、帝国の影響力の強さやその及んだ範囲を示す重要な根拠にもなる。西山准教授は「中央の王族の強い影響を受けた豪族が、国境付近にも長く暮らしていたことが初めて分かった」と説き、さらに関係を詳しく調べる意向だ。

 クルド人は山岳地帯に生きる少数民族。イラク国内では長く抑圧され、サダム・フセイン政権下では化学兵器による虐殺さえ行われた。西山准教授は「イラクでは、クルド人地域の歴史があまり注目されず、覆い隠されてきた。私たちの発見でそれを明らかにすることは、考古学的にも、混乱の下で暮らす住民にも貢献になる」と話す。

 こうした調査と合わせて、日本隊は現地の文化支援も続けている。独立を目指す住民の間に地域の歴史を見直す意識が高まっているため、スレイマニヤ大学で歴史を学ぶ学生に向けて、隊の調査の内容などをめぐる講義をした。また昨年は隊員が費用を出し合い、地元のスレイマニヤ博物館に展示ケースを寄贈。隊の発掘品を公開している。

 この博物館は、イラク国内では2番目の規模。見学者も多いが、地域の歴史についての資料はこれまで充実していなかった。「住民に、外国の調査が入るほど重要な土地だと知ってほしい。これからヤシン・テペの墓室を博物館で再現展示したり、現地の人が歴史の本を書く手助けをしたりできれば」と西山准教授。自治区の情勢は先が読めないが、調査隊は博物館と遺跡の無事を確認しており、状況を見極めた上でこの夏も現地入りする準備を進めている。

(2018年4月7日 中日新聞朝刊17面より)

戻る < 一覧に戻る > 次へ