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中日新聞掲載の大学記事

2009.08.27

風船爆弾製造辛かった 旧河芸高女生、戦争体験語る 鈴鹿


 戦争を体験した県立河芸高等女学校(現白子高校)の生徒だった女性と、女子短大生の座談会が26日、鈴鹿市の白子公民館で開かれた。女性たちは秘密兵器「風船爆弾」の製造に携わるなどした当時の状況を説明し、勉強できずに働かされた悔しさや無念さを語った。(村瀬力)

 津市の高田短大生の8人が、戦争当時の写真や史料を参考に、80歳近くになった11人から話を聞いた。

 女性たちは戦争中、出征兵士のいる農家や軍需工場に動員された。「生理用品はなく、座れない時もあって家に着くとほっとした」「食事は、豆やサツマイモのかすだけだった」と当時の様子を振り返った。

 風船爆弾は四日市市の工場で製造され、自分の工程以外を知ることはなかった。秘密保持のため帰宅できず、寮生活を強いられた。紙をのり付けしていた女性は「手が熱かった。長時間、立ちっぱなしの作業はつらかった」と語った。

 短大生たちは「自分たちはしっかり勉強しなくては申し訳ないと思った」「今の豊かな生活と平和に感謝したい」と感想を述べた。

(メモ)
  風船爆弾  直径10メートル、総重量200キロで、爆弾や焼夷(しょうい)弾を積んで飛ばす。ジェット気流に乗って米国へ到達し、空襲する兵器。1944年に実用化され、約9300個が放たれ、360個以上が米国に着き、少なくとも6人が死亡した。

(2009年8月27日 中日新聞朝刊三重版より)
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