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2012.03.29
最善尽くし「日々是新(ひびこれあらたなり)」 愛大創設者の教え後世に
■元客員研究員 越知さんが自分史
愛知大OBで愛大元客員研究員の越知専(おちまこと)さん(80)=豊橋市小松町=が、卒業後の人生をまとめた自分史「本間イズム実践編 日々是新(ひびこれあらたなり)」を出版した。大学創設者の故本間喜一名誉学長の教えを実践した半世紀を振り返り、「私の生きざまを通じて本間先生の考え方を若い人に伝えたい」と力を込める。(曽布川剛)
自分史はA4判370ページで、家業の理容店経営時代、退職後の社会貢献活動、本間イズムの啓蒙(けいもう)の3部構成。自身の取り組みを伝える写真や新聞記事、手紙を収録した。
越知さんは1953(昭和28)年に法経学部を卒業し、豊橋駅前の理容店で働き出し、散髪に来る名誉学長から「その時々で最善を尽くす」生き方を学んだ。仕事を続けながら沖縄返還運動や日韓親善に協力した。
87年に退職後は大学の写真研究会や応援団の顧問を務めた。豊橋駅前再開発や市長後援会など畑違いの分野にも挑戦してきた。
本間名誉学長は終戦直後の46年、中国上海で閉学になった東亜同文書院大の受け皿として愛知大を創設した。だが、越知さんはそうした歴史が学内を含め地域で知られていない状況を嘆き、その啓蒙に努力。応援団の活動を通じて市内の小中学生に教え、名誉学長の胸像や肖像写真の学内展示にも奔走した。2006年には大学の歴史を研究する客員研究員にもなった。
題名「日々是新」は、毎朝起きて前日の出来事に疑問を抱き反省を繰り返したという名誉学長の座右の銘を借りた。
越知さんは「身の丈にあったことを精いっぱいやり、そのために学び続ける。本間先生の教えでそんな生き方をしてきた。本を通じて愛知大の精神を残せれば」と話す。自分史は希望者に無料で配布する。(問)越知さん=電0532(46)0881
(2012年3月29日 中日新聞朝刊東三河版より)
愛知大OBで愛大元客員研究員の越知専(おちまこと)さん(80)=豊橋市小松町=が、卒業後の人生をまとめた自分史「本間イズム実践編 日々是新(ひびこれあらたなり)」を出版した。大学創設者の故本間喜一名誉学長の教えを実践した半世紀を振り返り、「私の生きざまを通じて本間先生の考え方を若い人に伝えたい」と力を込める。(曽布川剛)
自分史はA4判370ページで、家業の理容店経営時代、退職後の社会貢献活動、本間イズムの啓蒙(けいもう)の3部構成。自身の取り組みを伝える写真や新聞記事、手紙を収録した。
越知さんは1953(昭和28)年に法経学部を卒業し、豊橋駅前の理容店で働き出し、散髪に来る名誉学長から「その時々で最善を尽くす」生き方を学んだ。仕事を続けながら沖縄返還運動や日韓親善に協力した。
87年に退職後は大学の写真研究会や応援団の顧問を務めた。豊橋駅前再開発や市長後援会など畑違いの分野にも挑戦してきた。
本間名誉学長は終戦直後の46年、中国上海で閉学になった東亜同文書院大の受け皿として愛知大を創設した。だが、越知さんはそうした歴史が学内を含め地域で知られていない状況を嘆き、その啓蒙に努力。応援団の活動を通じて市内の小中学生に教え、名誉学長の胸像や肖像写真の学内展示にも奔走した。2006年には大学の歴史を研究する客員研究員にもなった。
題名「日々是新」は、毎朝起きて前日の出来事に疑問を抱き反省を繰り返したという名誉学長の座右の銘を借りた。
越知さんは「身の丈にあったことを精いっぱいやり、そのために学び続ける。本間先生の教えでそんな生き方をしてきた。本を通じて愛知大の精神を残せれば」と話す。自分史は希望者に無料で配布する。(問)越知さん=電0532(46)0881
(2012年3月29日 中日新聞朝刊東三河版より)