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お知らせ  2021.09.02

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震災後の石巻 撮り続け100本 椙山女学園大・栃窪教授とゼミ生

映像記録シリーズの100本目となる記録映像を紹介する栃窪教授=千種区の椙山女学園大で

映像記録シリーズの100本目となる記録映像を紹介する栃窪教授=千種区の椙山女学園大で

■10年の節目「残さないと」動画投稿

 椙山女学園大(千種区)の栃窪優二教授(66)=映像ジャーナリズム=とゼミ生たちが制作し、動画投稿サイト「ユーチューブ」にアップしている「東日本大震災シリーズ」が100本に到達した。震災直後から継続的に被災地を取材し、被災状況や復興の歩みを短編映像として記録し続けてきた。栃窪教授は「しっかり残さないといけないとの思いで10年続けてきた。節目に達し、一安心した」と話す。(梅田歳晴)

 栃窪教授は仙台放送の元記者で、1993~95年に宮城県石巻市の石巻支局に勤務した。当初から石巻エリアを取材対象に定め、定点観測的に復興に向かう道のりを見つめてきた。2011年4月に初めて取材を始めて以来、36回の訪問を重ねた。

 時にはゼミ生を伴い、取材に出向くこともあった。撮影した映像をゼミ生と共に編集し、学生がナレーションを付けた。この10年で計約140人の学生が関わった。被災間もない頃は被災者や支援者らも混乱しており、取材が難しいこともあった。しかし、3年目以降は地元の人との接点も増え、取材がしやすくなったという。「話を聞いたからには伝えねば」と、決意を新たにしたことも。

 12年2月にシリーズ初の投稿「6枚の壁新聞から1年~記者が語る被災地・石巻」を皮切りに、年間平均で10本程度を投稿。初めて見た人も理解できるように1話完結を心掛けた。

 直近では7月に栃窪教授が単身で石巻市を訪れて取材した。100本目は「震災11年目の夏~宮城・石巻の復興」。石巻市の日和山から沿岸部を望む景色や、津波と火災で壊滅的被害が出た南浜地区にある石巻南浜津波復興祈念公園、震災遺構として整備された大川小学校跡地の様子などを収め、5分46秒にまとめた。

 栃窪教授は「10年で被災地がどう立ち上がるのかと思って見てきた。建物や道路などハード面での復興は一段落した印象だが、まだ心の復興に苦労する人もいる。個人レベルでの復興はまだ道半ばと感じる部分もある」と言う。

 震災前、東北地方の被災地では人口減少や過疎化に直面していた。「そのころに戻すだけではなく、被災地域の活性化が必要。映像の力で少しでも後押しすることができれば」。制作は今後も続ける。「東日本大震災を忘れず、南海トラフ地震の発生が想定されるこの地域の防災意識を高めることにつながれば。震災の記録を未来へ伝えたい」と意気込む。

 記録映像は「椙山女学園大学 栃窪研究室」で検索。

(2021年9月2日 中日新聞朝刊市民版より)

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