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中日新聞掲載の大学記事

2017.03.07

第11回 中日スポーツ功労賞

 2016年度の「第11回中日スポーツ功労賞」が至学館大レスリング部の栄和人監督(56)、中京学院大硬式野球部、名城大アメリカンフットボール部の槇野均監督(63)に決まった。第1回受賞者の栄監督は、リオデジャネイロ五輪で4人の教え子を金メダルに導いたほか、教え子の2人が国民栄誉賞を受賞したことで特別賞。中京学院大は全日本大学選手権で東海勢として46年ぶりの優勝を達成し、槇野監督はチームを東海学生リーグ6連覇に導いた功績が評価された。


■東京五輪 至学館大レスリング部 栄監督

 栄監督は、第1回に続いて特別賞を受賞した。贈呈式で受賞者を代表してあいさつし、「指導者にも賞を頂けるのは指導者冥利(みょうり)に尽きる。これからももっともっと素晴らしい育成をしていきたい」と喜びを表した。

 厳しくも緻密で丁寧な指導だ。その的確さは選手から厚い信頼を得ている。リオ五輪で女子レスリングが金メダル4個、銀メダル1個の活躍を誇ったのも、戦術だけでなく、選手の増減量など、難しい体調管理をきっちり仕上げた栄監督の手腕によるところが大きい。

 座談会では、指導の難しさに言及。自身の現役時代はライバルと口を利かないのが一般的だったが、近年は「仲が良くて、それでも戦って負けると悔しくて泣いている」と現代っ子の心情を思いやった。

 2020年東京五輪へ向け、世界レスリング連合が階級変更を検討している。最軽量の48キロ級以外は全て数キロずつ重くなる見通しで、軽量級に強い傾向の日本にとっては逆風となる。が、栄監督は「これまでも階級変更はあった。それに合わせていくだけ」と動じる様子は全くない。

 動向が注目される、リオ五輪69キロ級で、重量級日本初制覇の土性沙羅(至学館大)について栄監督は「66キロ級で使う」と明かした。そして「東京五輪は、金メダルを含めて全階級でメダル」と語った。 (福沢和義)

 ▼栄和人(さかえ・かずひと) 1960(昭和35)年6月19日生まれ、鹿児島県奄美市出身の56歳。165センチ、65キロ。鹿児島商工(現樟南高)、日体大出。88年ソウル五輪に出場。96年中京女大付高(現至学館高)に赴任。レスリング部監督として、吉田沙保里(至学館大副学長)、伊調馨(ALSOK)らを育てた。日本レスリング協会の強化本部長。


■中京学院大硬式野球部 近藤監督、加藤コーチ

 昨年の全日本大学野球選手権大会で初出場で優勝した中京学院大(岐阜)の硬式野球部。その偉業を支えたのが近藤正監督(69)と加藤歩コーチ(48)だった。

 2006年に就任した近藤監督はWBCに出場する侍ジャパンの広島・菊池や、巨人にドラフト1位で入団した吉川尚を育てた名伯楽。専用グラウンドも選手寮もないが、「エンジョイ・ベースボール」を掲げ、選手の自主性を重んじる。

 「好きな野球の原点に返るということ。私は応援団でいいんです」と近藤監督。選手はアルバイトで生活費や学費、用具費などを稼ぎながら、学業と野球に打ち込む。選手に通年のアルバイトを許可するのはトップレベルの大学では異例のことだ。他の受賞者が驚く取り組みも偉業の原動力だった。 (麻生和男)

 ▼近藤正(こんどう・ただし) 1947(昭和22)年10月18日生まれ、静岡県伊東市出身の69歳。現役時代は中京高(岐阜)、中京大で遊撃手。選手として甲子園出場経験はない。校名変更した母校の中京商監督として春夏の甲子園に5度出場。夏は1973年から3年連続出場し、75年は8強進出した。2006年から中京学院大監督。


■名城大アメフット部 槇野監督

 名城大アメリカンフットボール部の槇野均監督(63)は、就任した1982年当初、部員6人の同好会だった同部を、東海学生リーグ6年連続17度の優勝を誇る強豪に育てた。チームの愛称「ゴールデンライオンズ」から同部をゴールデンファミリーに例える。「1〜4年生は4人兄弟。末っ子は上級生から学びながら長兄になっていく」と、選手の自主性を重んじる指導を貫く。

 中高は水泳部で、大学からトップ選手になった槇野監督は、野球など他競技からの転向組を短期間で育てる。東海の雄の地位を確立した近年、「身体能力の高い選手を預けたいと言ってくれる他競技の高校の指導者も増えた」と喜ぶ。35年目の今季も、打倒関西勢を現実的な目標として挑戦を続ける。 (伊東朋子)

 ▼槇野均(まきの・ひとし) 1953(昭和28)年6月14日生まれ、北九州市出身の63歳。日体大でアメフットを始め、2年から3年間、ライスボウル出場。日体大トレーニングセンター研究員となった76年から米国リンカーン大留学。82年、名城大商学部専任講師となり同好会から体育会に昇格したアメフット部監督に就任。85年に東海学生リーグ1部昇格も1年で降格。90年に再昇格。91年、在学研究員として米国アイオワ大留学。93年、初優勝。現在は名城大経営学部教授。

(2017年3月7日 中日スポーツ10面より)
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