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2013.02.09
自力で目立つ!! 樽井暉和 浜松商から愛大へ 父は78年センバツV左腕
春はフレッシュマンの季節。愛知大学野球1部リーグ6校には計150人を超える新入部予定の選手がいる。その中で注目は浜松商(静岡)から愛大に進学する樽井暉和(てるかず)遊撃手(18)。父親・徹さん(52)は1978年春のセンバツで浜松商を初優勝に導いたサウスポーである。次男である暉和は甲子園大会には出場できなかったが、中日・岩瀬の母校である愛大では神宮の舞台を踏む夢に挑む。 (阿知波浩二)
■父=コーチ 堅守を武器にレギュラー狙う
父の栄光が背中にズシリ。地元浜松では「あのセンバツ優勝投手の息子」と、樽井は少年時代から呼ばれ続けてきた。苦痛になることはなかったが、高校球児から大学へと、さらにステージが進み、その存在感はさらに大きくなってきた。
「自宅には浜松商優勝の記念皿が飾ってあって『全国優勝って、スゲエな』とは思っていたが、父は高校から大学、そして社会人まで野球を続けた人。ボクもずっと野球をやっていたい」
35年前の春の甲子園で父・徹さんは左腕エースとして力投し、決勝では福井商を2−0で破って大旗を静岡県に持ち帰った。法大でも活躍し、社会人は地元の河合楽器で外野手としてプレーした。愛大進学が決まった息子には「大学で野球が終わるのと、卒業して社会人まで野球を続けるのは意味が違う」と声をかけた。この言葉が息子にとって大きなモチベーションとなる。
小学校でのスポーツ少年団、中学軟式野球部と暉和が立つグラウンドには、いつもコーチ役として父がいた。父の母校・浜松商に進むと、OBコーチだった。「家の中で一緒にいる時より、グラウンドでの時間が長かったので、親じゃなくてコーチという意識が強かった。アドバイスされて、その通りやってみると、しっくりすることが多くて・・・」と暉和。しかし、浜松商ではレギュラーの道は遠かった。3年春までは一塁手の控え。5月になって遊撃手に転じると、ここから急成長。最後の夏の静岡大会は背番号「6」を得て、5番でスタメン出場した。
島田商との1回戦では延長15回引き分け、再試合を含めて24イニング、6時間14分に及ぶ激闘となったが、暉和は再試合の終盤に勝利を決定づける2点三塁打を放った。控え時代に耐えて蓄えた力が高校最後で花開いた。
ミカン畑など農業を営む父は、暉和の祖父の体調が芳しくないことで仕事が忙しくなり、昨夏を最後に浜松商のコーチを退いている。
進学で2月から練習に合流した暉和は、学校のある愛知県豊橋市内でアパート暮らしを始めた。
「父と別れて野球をするのは今回が初めて。これからは自分の力でやっていかないと・・・。まずは堅実な守りで、チームの中で目立つようにしていきたい」と暉和。オレはオレ。オヤジはオヤジ。自力で存在をアピールしていきたい。愛大の八田剛監督(40)は「意欲のある選手。上背(179センチ)もあるし、楽しみな存在」と樽井ジュニアに期待。法大時代に父が東京六大学リーグでプレーした神宮球場での全国舞台を夢見て、スタートを切る。
▼樽井暉和(たるい・てるかず) 1994(平成6)年12月2日生まれの18歳。浜松市北区出身。179センチ、77キロ、右投げ左打ち。中川小1年から細江スポーツ少年団で野球を始め、細江中では遊撃手で、3年春に県大会優勝。浜松商では2年秋は控え一塁手、3年夏はレギュラー遊撃手で静岡大会に出場したが、チームは4回戦で敗退。男2人兄弟で兄・康佑さん(22)も浜松商野球部OBで、高校時代は投手兼遊撃手。母親・由美さん(48)は園田学園高(兵庫)バドミントン部で全国高校総体に出場した経験がある。
(2013年2月9日 中日スポーツ11面より)
■父=コーチ 堅守を武器にレギュラー狙う
父の栄光が背中にズシリ。地元浜松では「あのセンバツ優勝投手の息子」と、樽井は少年時代から呼ばれ続けてきた。苦痛になることはなかったが、高校球児から大学へと、さらにステージが進み、その存在感はさらに大きくなってきた。
「自宅には浜松商優勝の記念皿が飾ってあって『全国優勝って、スゲエな』とは思っていたが、父は高校から大学、そして社会人まで野球を続けた人。ボクもずっと野球をやっていたい」
35年前の春の甲子園で父・徹さんは左腕エースとして力投し、決勝では福井商を2−0で破って大旗を静岡県に持ち帰った。法大でも活躍し、社会人は地元の河合楽器で外野手としてプレーした。愛大進学が決まった息子には「大学で野球が終わるのと、卒業して社会人まで野球を続けるのは意味が違う」と声をかけた。この言葉が息子にとって大きなモチベーションとなる。
小学校でのスポーツ少年団、中学軟式野球部と暉和が立つグラウンドには、いつもコーチ役として父がいた。父の母校・浜松商に進むと、OBコーチだった。「家の中で一緒にいる時より、グラウンドでの時間が長かったので、親じゃなくてコーチという意識が強かった。アドバイスされて、その通りやってみると、しっくりすることが多くて・・・」と暉和。しかし、浜松商ではレギュラーの道は遠かった。3年春までは一塁手の控え。5月になって遊撃手に転じると、ここから急成長。最後の夏の静岡大会は背番号「6」を得て、5番でスタメン出場した。
島田商との1回戦では延長15回引き分け、再試合を含めて24イニング、6時間14分に及ぶ激闘となったが、暉和は再試合の終盤に勝利を決定づける2点三塁打を放った。控え時代に耐えて蓄えた力が高校最後で花開いた。
ミカン畑など農業を営む父は、暉和の祖父の体調が芳しくないことで仕事が忙しくなり、昨夏を最後に浜松商のコーチを退いている。
進学で2月から練習に合流した暉和は、学校のある愛知県豊橋市内でアパート暮らしを始めた。
「父と別れて野球をするのは今回が初めて。これからは自分の力でやっていかないと・・・。まずは堅実な守りで、チームの中で目立つようにしていきたい」と暉和。オレはオレ。オヤジはオヤジ。自力で存在をアピールしていきたい。愛大の八田剛監督(40)は「意欲のある選手。上背(179センチ)もあるし、楽しみな存在」と樽井ジュニアに期待。法大時代に父が東京六大学リーグでプレーした神宮球場での全国舞台を夢見て、スタートを切る。
▼樽井暉和(たるい・てるかず) 1994(平成6)年12月2日生まれの18歳。浜松市北区出身。179センチ、77キロ、右投げ左打ち。中川小1年から細江スポーツ少年団で野球を始め、細江中では遊撃手で、3年春に県大会優勝。浜松商では2年秋は控え一塁手、3年夏はレギュラー遊撃手で静岡大会に出場したが、チームは4回戦で敗退。男2人兄弟で兄・康佑さん(22)も浜松商野球部OBで、高校時代は投手兼遊撃手。母親・由美さん(48)は園田学園高(兵庫)バドミントン部で全国高校総体に出場した経験がある。
(2013年2月9日 中日スポーツ11面より)