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2012.10.30
猿猴庵の自筆本あった 熱田神宮かいわい描写「熱田宮全図」
■江戸期の本町通鳥瞰図 町家もびっしり
江戸中−後期の尾張藩士で、名古屋城下の出来事を多くの著作に記録したことで知られる高力種信が描いた熱田神宮かいわいの絵図「熱田宮全図」が、新たに見つかった。これまで別の藩士による転写図は確認されていたが、自筆本は「所在不明」とされていた。 (谷村卓哉)
■長さ3メートルの折り本
新史料は、約600年の歴史がある熱田区の白鳥山法持寺の所蔵で、広げると長さ約3メートルになる折り本。同区内を中区境から南区境へ抜けていた当時の本町通約3キロ分の一帯を鳥瞰(ちょうかん)図的に描く。
熱田神宮や同寺はもちろん、浜の常夜灯、びっしり建つ町家などを細かく表現。見どころは付せんを貼って強調している。末尾には「文化3(1806)年丙寅9月下旬 高力種信図之」の署名、「猿猴庵」の落款もある。
数年前、寺史編さんを進めていた同寺が京都の古書店から手に入れ、住職の川口高風・愛知学院大教授(64)が専門家の協力を得て分析を開始。筆跡や画風などから最近、自筆本と判明し寺史にも盛り込んだ。
これまでは自筆本完成の7年後、尾張藩士神谷三園がそっくりに描き写した絵巻物(西尾市岩瀬文庫蔵)しか知られていなかった。自筆本には中世の「源平古戦場」など転写図にない記述も見られ、郷土史を探る上でも興味深い。
名古屋市博物館の山本祐子学芸員によると、100件以上ある猿猴庵の著作のうち、自筆本が確認されているのは約60件。そのほとんどを京都大と東京の国会図書館、東洋文庫が所蔵している。
■不思議な縁を喜ぶ
川口教授は「貴重な自筆本が、寺史完成直前に地元・熱田に戻ったことに不思議な縁を感じる」と喜ぶ。ただ、同寺はなぜか「総持寺」と記述され、転写図でも誤ったまま引用されている。「これだけが残念。どうして間違えたか、猿猴庵さんに聞いてみたいものだ」と苦笑いしている。
▼高力種信(こうりき・たねのぶ、1756〜1831年) 江戸初期から尾張徳川家に使えた高力家の7代目。画力に秀で、閑職に甘んじ文筆活動に力を入れた。名古屋城下の祭りや寺社開帳、珍事など市井の出来事を精力的に取材。「猿猴庵(えんこうあん)」などのペンネームで多くの日記や記録絵本を残した。
(2012年10月30日 中日新聞朝刊市民版より)
江戸中−後期の尾張藩士で、名古屋城下の出来事を多くの著作に記録したことで知られる高力種信が描いた熱田神宮かいわいの絵図「熱田宮全図」が、新たに見つかった。これまで別の藩士による転写図は確認されていたが、自筆本は「所在不明」とされていた。 (谷村卓哉)
■長さ3メートルの折り本
新史料は、約600年の歴史がある熱田区の白鳥山法持寺の所蔵で、広げると長さ約3メートルになる折り本。同区内を中区境から南区境へ抜けていた当時の本町通約3キロ分の一帯を鳥瞰(ちょうかん)図的に描く。
熱田神宮や同寺はもちろん、浜の常夜灯、びっしり建つ町家などを細かく表現。見どころは付せんを貼って強調している。末尾には「文化3(1806)年丙寅9月下旬 高力種信図之」の署名、「猿猴庵」の落款もある。
数年前、寺史編さんを進めていた同寺が京都の古書店から手に入れ、住職の川口高風・愛知学院大教授(64)が専門家の協力を得て分析を開始。筆跡や画風などから最近、自筆本と判明し寺史にも盛り込んだ。
これまでは自筆本完成の7年後、尾張藩士神谷三園がそっくりに描き写した絵巻物(西尾市岩瀬文庫蔵)しか知られていなかった。自筆本には中世の「源平古戦場」など転写図にない記述も見られ、郷土史を探る上でも興味深い。
名古屋市博物館の山本祐子学芸員によると、100件以上ある猿猴庵の著作のうち、自筆本が確認されているのは約60件。そのほとんどを京都大と東京の国会図書館、東洋文庫が所蔵している。
■不思議な縁を喜ぶ
川口教授は「貴重な自筆本が、寺史完成直前に地元・熱田に戻ったことに不思議な縁を感じる」と喜ぶ。ただ、同寺はなぜか「総持寺」と記述され、転写図でも誤ったまま引用されている。「これだけが残念。どうして間違えたか、猿猴庵さんに聞いてみたいものだ」と苦笑いしている。
▼高力種信(こうりき・たねのぶ、1756〜1831年) 江戸初期から尾張徳川家に使えた高力家の7代目。画力に秀で、閑職に甘んじ文筆活動に力を入れた。名古屋城下の祭りや寺社開帳、珍事など市井の出来事を精力的に取材。「猿猴庵(えんこうあん)」などのペンネームで多くの日記や記録絵本を残した。
(2012年10月30日 中日新聞朝刊市民版より)