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中日新聞掲載の大学記事

2008.06.18

献上ホタル 岐阜からも 京都産業大・所教授が指摘

 昭和天皇の海軍侍従武官を務めた故山澄(やまずみ)貞次郎(ていじろう)氏の手記発見の話題を、昭和の日(4月29日)に紹介した。その中で滋賀県から献上されたとされるゲンジボタルについて、県境を越えた岐阜県揖斐川(いびがわ)町からのものとする指摘があった。追跡すると、ホタル献上史の一端が鮮やかに照らし出された。

 戦後の1948年にまとめた山澄氏の手記は「毎年夏になると、陛下をお慰め申し上げる為(ため)に、近江の國(くに)から源氏蛍を献上になるのが例になっていたが、いつも陛下は、どうかして此(こ)の蛍を、繁殖させようと、吹上御苑花蔭亭(かいんてい)裏の流れに放たれて、ご研究になった」と記す。近江の国は滋賀県だ。

 これに対し、「揖斐川町の小学校にホタル献上の記録がある」と話すのは、同町在住で皇室の歴史に詳しい所功(ところいさお)・京都産業大教授だ。

 それは揖斐尋常高等小学校(現揖斐小)の「献上蛍記録」。25(大正14)年、地元の保護団体や少年赤十字団の発案で、近くの桂川で捕った成虫を皇室に献上するようになった。

 42(昭和17)年6月10日には、今の天皇陛下をはじめ親王、内親王計6人に献上。校長や児童代表が夜行列車で上京し、係官に蛍六籠(かご)を渡したという。

 同じ42年の献上について、「文芸春秋」(昨年4月号)に掲載された「小倉(おぐら)庫次(くらじ)侍従日記」にも記述があった。「昭和17年6月14日(日) 吹上御苑に成らせられ、献上の蛍を御放し遊ばさる。花蔭亭前に昨年放養せるもの、数匹発生せるを発見せらる」

 所教授は「滋賀県は今もホタルの名産地で、複数の地方から献上されていた可能性も考えられる。ただ、揖斐川町から献上されていたことは間違いない」と語る。

 戦局の悪化のためか揖斐川町の献上は44(昭和19)年から中断されたが、小倉侍従の日記には「昭和19年6月22日(木) 観瀑亭前、花蔭亭附近、蛍御観賞。蛍盛んに飛び交ひ御満足にあらせられ、側近者等も召して拝見せしめらる」ともあった。

 所教授はこれらの貴重な記録を突き合わせ「昭和天皇の繁殖させようとされていた努力が成功し、皇居の中にホタルの園ができつつあったのでは。生物学者らしい思いがうかがえる」とみる。

 同小では毎年4月、4年生がホタルの餌になる巻き貝カワニナを桂川に放流している。石橋寿恵広校長は「河川改修で昔のような生息環境ではないが、少しでも増やそうと頑張っている。皇室献上は貴重な歴史的遺産として伝えていきたい」と話している。

(2008年6月18日 中日新聞朝刊18面より)
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