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2010.07.24
日本男子で唯一夏冬五輪に出場 中京大陸上短距離コーチ 青戸慎司
■“五輪魂”を伝授
陸上短距離の中京大が元気だ。6月の日本選手権で5人が入賞したほか、7月の世界ジュニア選手権(カナダ・モンクトン)には女子200メートルの市川(2年)、男子400メートル障害の安部(1年)が日本代表として出場した。08年から指揮を執るのは中京大OBの青戸慎司コーチ(43)。日本人男子で唯一夏冬の両五輪に出場した経験を持つ青戸コーチの熱い“五輪魂”が、世界クラスのランナーを続々と送り出す。
■オーラは不変
現役時代と変わらない引き締まった顔つき。「筋力が落ちて、現役の時から5キロ落ちたんですよ」。青戸コーチはそう言って笑うが、五輪の舞台に3度立ったオーラは当時のまま。青戸コーチの指導を受ける選手のまなざしに尊敬がこもるのも無理はない。
就任は40歳。長野五輪後は母校である中京大の職員として働いていたが、低迷する短距離部門のテコ入れ策として大学から就任を要請された。「もう(指導者としては)やらないんじゃないか、と正直思っていたので、うれしかった。自分は大学ですごくいい先輩に恵まれ、自由な学風の中でいろいろやらせてもらった。自分はここ(中京大)で強くなって、こんな考え方をしていた、というのを伝えたかった」。同時に後輩にもどかしさも感じていた。「当時よりトラックもギア(用具)も良くなって、情報もたくさんあるのに、まだ(自らがつくった東海学生記録の)10秒28が破られていない。それを破る選手を育てたいと思った」
■練習は自主性任せ食生活にはストイックさ要求
日本最速スプリンターとして歩んだ経験を指導に生かした。まず練習日程を変え、日曜を休みに充てられるようにした。十分かつメリハリのある休息でケガ人は減少した。また、ウエートトレーニングを重視するとともに食生活にもストイックさを求めた。体脂肪は男子10%以下、女子15%以下がボーダーだ。選手間のライバル心も強くあおっている。「人と同じ練習では絶対強くならない。人より1本でも多く、10メートルでも遠く、1キロでも重いものを上げろ、タイムを出せば(代表として)使うから、と」。選手の目の色は変わり、自己ベストを更新する選手が続出。男子100メートルの平均タイムは昨年が10秒98だったが、現在は10秒89まで縮まったという。
練習メニューはあまり細かく出さず、選手の自主性に任せている。「とにかく楽しい雰囲気でやろうと考えている。楽しいと、今日はあれをやろう、これをしよう、と考える余裕が生まれる」。“速くなるコツ”は伝授されるものでなく、自らつかみ取る。それが青戸流だ。「自分は100メートル10秒64で大学に入って、10秒28まで縮めた。毎年コンマ1秒早くすれば活躍できる。そのために何をしなくちゃいけないか考えてくださいよ、と。全部を与えてしまうと考えなくなってしまう。少しのヒントは与えますけどね」。日本選手権の男子100メートル3位の田口、6位の杉本(ともに3年)も高校時代は全国総体準決勝止まりの選手。2人とも自分なりのトレーニング法で着実にタイムを縮め、日本のトップ級に成長しつつある。
自分の記録を抜く選手を育てることが当面の目標。しかし、その先には五輪選手の育成という大きな夢がある。「五輪はアマスポーツ最高峰の試合。その感動を得ることができるのは、ごく限られた人間。選手には『出たら価値観は全然変わるよ』と言っている。五輪はそんなにむちゃくちゃ遠いものではなく、ちょっとしたきっかけをつかめば出られるということを分かってほしい。出たい、と思った時に何をしたらいいのか。それを教えてあげたいんですよ」。青戸コーチの“五輪虎の穴”。自らがとりこになった舞台に教え子を押し上げるのも時間の問題と言える。 (斎藤正和)
■学業も厳しく指導
青戸コーチは、競技だけでなく規律面や学業面も重視した指導を行う。「努力して自己記録を出すということは、社会に出て目標を達成するために努力するのと同じこと。陸上を通じて人間形成をしたい。ウチはあいさつも結構厳しいんですよ」。昨年度から3年の秋に就職活動を始めさせたことで、現4年生の中には大手広告代理店の内定を受けた選手も出たという。文武両道の指導で、スポーツ界以外にも優秀な人材を輩出しそうだ。
▼青戸慎司(あおと・しんじ) 1967(昭和42)年5月7日、和歌山市生まれの43歳。178センチ、69キロ。中学1年で本格的に陸上を始める。中京大3年だった88年に100メートルで10秒28の日本新を樹立。同年のソウル五輪400メートルリレーで準決勝に進出した。翌年の日本選手権100メートルで優勝。92年のバルセロナ五輪400メートルリレーで6位入賞したほか、100メートルにも出場。93年にいったん現役引退したが97年に復帰。98年の長野五輪ボブスレー4人乗りで16位となり、日本人男子初の夏冬五輪出場を果たした。08年、中京大短距離コーチに就任。
(写真)世界ジュニア選手権代表の市川(左)に指導する中京大・青戸慎司コーチ。3度の五輪出場経験を持つ五輪の申し子が、母校を頂点に押し上げる=愛知県豊田市の中京大で
(2010年7月24日 中日スポーツ7面より)
陸上短距離の中京大が元気だ。6月の日本選手権で5人が入賞したほか、7月の世界ジュニア選手権(カナダ・モンクトン)には女子200メートルの市川(2年)、男子400メートル障害の安部(1年)が日本代表として出場した。08年から指揮を執るのは中京大OBの青戸慎司コーチ(43)。日本人男子で唯一夏冬の両五輪に出場した経験を持つ青戸コーチの熱い“五輪魂”が、世界クラスのランナーを続々と送り出す。
■オーラは不変
現役時代と変わらない引き締まった顔つき。「筋力が落ちて、現役の時から5キロ落ちたんですよ」。青戸コーチはそう言って笑うが、五輪の舞台に3度立ったオーラは当時のまま。青戸コーチの指導を受ける選手のまなざしに尊敬がこもるのも無理はない。
就任は40歳。長野五輪後は母校である中京大の職員として働いていたが、低迷する短距離部門のテコ入れ策として大学から就任を要請された。「もう(指導者としては)やらないんじゃないか、と正直思っていたので、うれしかった。自分は大学ですごくいい先輩に恵まれ、自由な学風の中でいろいろやらせてもらった。自分はここ(中京大)で強くなって、こんな考え方をしていた、というのを伝えたかった」。同時に後輩にもどかしさも感じていた。「当時よりトラックもギア(用具)も良くなって、情報もたくさんあるのに、まだ(自らがつくった東海学生記録の)10秒28が破られていない。それを破る選手を育てたいと思った」
■練習は自主性任せ食生活にはストイックさ要求
日本最速スプリンターとして歩んだ経験を指導に生かした。まず練習日程を変え、日曜を休みに充てられるようにした。十分かつメリハリのある休息でケガ人は減少した。また、ウエートトレーニングを重視するとともに食生活にもストイックさを求めた。体脂肪は男子10%以下、女子15%以下がボーダーだ。選手間のライバル心も強くあおっている。「人と同じ練習では絶対強くならない。人より1本でも多く、10メートルでも遠く、1キロでも重いものを上げろ、タイムを出せば(代表として)使うから、と」。選手の目の色は変わり、自己ベストを更新する選手が続出。男子100メートルの平均タイムは昨年が10秒98だったが、現在は10秒89まで縮まったという。
練習メニューはあまり細かく出さず、選手の自主性に任せている。「とにかく楽しい雰囲気でやろうと考えている。楽しいと、今日はあれをやろう、これをしよう、と考える余裕が生まれる」。“速くなるコツ”は伝授されるものでなく、自らつかみ取る。それが青戸流だ。「自分は100メートル10秒64で大学に入って、10秒28まで縮めた。毎年コンマ1秒早くすれば活躍できる。そのために何をしなくちゃいけないか考えてくださいよ、と。全部を与えてしまうと考えなくなってしまう。少しのヒントは与えますけどね」。日本選手権の男子100メートル3位の田口、6位の杉本(ともに3年)も高校時代は全国総体準決勝止まりの選手。2人とも自分なりのトレーニング法で着実にタイムを縮め、日本のトップ級に成長しつつある。
自分の記録を抜く選手を育てることが当面の目標。しかし、その先には五輪選手の育成という大きな夢がある。「五輪はアマスポーツ最高峰の試合。その感動を得ることができるのは、ごく限られた人間。選手には『出たら価値観は全然変わるよ』と言っている。五輪はそんなにむちゃくちゃ遠いものではなく、ちょっとしたきっかけをつかめば出られるということを分かってほしい。出たい、と思った時に何をしたらいいのか。それを教えてあげたいんですよ」。青戸コーチの“五輪虎の穴”。自らがとりこになった舞台に教え子を押し上げるのも時間の問題と言える。 (斎藤正和)
■学業も厳しく指導
青戸コーチは、競技だけでなく規律面や学業面も重視した指導を行う。「努力して自己記録を出すということは、社会に出て目標を達成するために努力するのと同じこと。陸上を通じて人間形成をしたい。ウチはあいさつも結構厳しいんですよ」。昨年度から3年の秋に就職活動を始めさせたことで、現4年生の中には大手広告代理店の内定を受けた選手も出たという。文武両道の指導で、スポーツ界以外にも優秀な人材を輩出しそうだ。
▼青戸慎司(あおと・しんじ) 1967(昭和42)年5月7日、和歌山市生まれの43歳。178センチ、69キロ。中学1年で本格的に陸上を始める。中京大3年だった88年に100メートルで10秒28の日本新を樹立。同年のソウル五輪400メートルリレーで準決勝に進出した。翌年の日本選手権100メートルで優勝。92年のバルセロナ五輪400メートルリレーで6位入賞したほか、100メートルにも出場。93年にいったん現役引退したが97年に復帰。98年の長野五輪ボブスレー4人乗りで16位となり、日本人男子初の夏冬五輪出場を果たした。08年、中京大短距離コーチに就任。
(写真)世界ジュニア選手権代表の市川(左)に指導する中京大・青戸慎司コーチ。3度の五輪出場経験を持つ五輪の申し子が、母校を頂点に押し上げる=愛知県豊田市の中京大で
(2010年7月24日 中日スポーツ7面より)