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中日新聞掲載の大学記事

2013.06.03

愛知大学野球 中京大 7季ぶり1部復帰

 中京大(2部代表)が愛産大(1部最下位)を5−1で破って連勝し、2010年春以来、7シーズンぶりの1部復帰を決めた。愛知大学リーグを代表する名門チームは低迷が続き、昨秋の入れ替え戦では同じカードの愛産大に屈したが、今回は雪辱。中京大の現4年生は入学した年の春に1部を経験したあと、10年秋から6季も2部リーグ暮らしが続いたが、最後の秋は1部の舞台でプレーができることになった。

■たくましくなった“名門” 秋は即優勝狙う

 苦しかった思いが一気にはじけた。中京大ナインが“祝勝”の握手と笑顔の輪。昨秋の入れ替え戦で、はね返された相手である愛産大にリベンジを果たしての1部復帰。それも7季ぶりである。真っ先に胴上げされた山中渉伍主将(4年)は「最後のシーズンに1部に戻れるなんて、また一つドラマができたじゃないですか。ここまで学んだことは大きい。3年間(6季の2部暮らし)で培ったことをこれからに生かしたい」と喜びの声をあげた。さらに最後の秋は1部復帰即優勝で、明治神宮大会に出場するというデッカイ目標を掲げた。

 中京大中京高では同期の堂林(現広島)らと力を合わせ、夏の甲子園で日本一。あの時も主将を務め、決勝では日本文理(新潟)との激闘を制した。優勝マウンドにはいなかったエース・堂林が泣きじゃくると、お立ち台の上で慰めたのが山中だった。中京大に進んで、入学した年の春に首位打者、新人賞、ベストナインを獲得し、いきなりブレークしたが、その年の秋からチームは2部降格。ここから苦難が続いた。昨秋の入れ替え戦3回戦では、当時3年生主将だった山中自らの悪送球から3点を献上し、1部復帰を逃した。

 あの日、愛知県豊田市のグラウンドに戻ると、たった一人でネットを相手にスローイング練習。チームに迷惑をかけたことのショックが強く、時間の感覚さえなくなって深夜まで投げ続けた。落ち込む山中を支えてくれたのが「オマエ一人じゃないから」という仲間たちの言葉だった。この日は「1番・遊撃手」として4回の適時二塁打を含めて3安打。チームリーダーとして再起し、攻守に引っ張った。

 半田卓也監督(30)は「この3年間は長かったかもしれないが、チームには必要な3年間だった。一人ひとりがやることをできるようになった」と話した。愛知大学1部リーグで33度の優勝回数を誇る名門がたくましくなって、1部の舞台に戻ってくる。 (阿知波浩二)

▼中京大硬式野球部
 1954年に中京短期大で準硬式野球部として発足。2年後の56年4月、中京大となり、準硬式野球部から分離独立。同年秋、愛知大学野球連盟の2部に加盟。同年秋の入れ替え戦で南山大を破って1部昇格。57年春にリーグ初優勝。名将・滝正男監督のもと、愛知大学リーグの常勝チームとなり、70年には全日本大学選手権大会で日本一に輝いた。愛知大学1部リーグでの通算優勝回数は33度で、愛院大の45度に次ぐ。現在の部員136人。卒業生には中京大中京高野球部・大藤敏行前監督、楽天・武藤好貴投手ら。

■愛産大秋は2部へ

 連敗した愛産大は1部リーグでは2季で終わり、秋から2部へ。青山監督は「リーグ戦を通じて投打に軸となる選手が現れなかった。そんなに力の差はなかったのですが・・・」と険しい表情。

▽2回戦(中京大2勝)
愛産大(1部最下位)  100000000―1
中京大(2部代表)  10022000x―5
本塁打 本多(愛)大野(中)

(2013年6月3日 中日スポーツ11面より)
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