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お知らせ  2019.03.16

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昭和の色彩 次代も輝け 矢橋六郎さんモザイク画 名城大体育館保存を求める声

名城大八事キャンパス内にある矢橋六郎さんのモザイク画「薬と生命」について話す平松正行薬学部長=名古屋市天白区で

名城大八事キャンパス内にある矢橋六郎さんのモザイク画「薬と生命」について話す平松正行薬学部長=名古屋市天白区で

 建物の壁や天井を彩るモザイク画。その第一人者として昭和期に活躍した矢橋六郎さんの作品の「第2の人生」を模索する動きが東海地方各地で進む。作品を組み込んだ建築物が、相次いで建て替え時期を迎えているからだ。一方で、価値があまり知られないまま建物ごと損なわれるものもあり、愛好者らは作品の記録や保存を呼び掛けている。 (松野穂波)

 東京五輪が開かれた1964年に建てられた岐阜県大垣市役所庁舎。伊吹山や紡績工場など大垣の風景を描いた同市出身の矢橋さんの大作「西濃の四季」が、来庁者を出迎える。老朽化が進む庁舎は間もなく取り壊されるが、モザイク画は、やはり東京五輪が開催される2020年に、新しい庁舎に移される。

 数年前に建て替えが決まった際には作品の取り扱いは未定だったが、市議会の要望などを受けて新庁舎での保存が決まった。市では、矢橋さんが手掛けた壁画の作品集づくりに乗り出すなど、郷里の芸術家を顕彰する機運が高まる。矢橋さんのおいで矢橋大理石社長の矢橋修太郎さん(72)は「六郎氏の生きた証拠が再確認され、よみがえることがすごくうれしい」と話す。

 大垣市によると、矢橋さんの作品は確認できただけで15都道府県、77点。名古屋市の地下鉄名古屋駅や中日ビル、岐阜県庁舎など、各地域の住民になじみ深い建物にも見られる。

 ただ、多くは制作から半世紀近くが経過。少なくとも21作品が姿を消した。大垣商工会議所にもかつて天井画「流水」が飾られていたが、10年の移転の後の旧建物の取り壊しの際に失われた。

 消失を防ごうという動きもある。築50年近くの名城大八事キャンパス(名古屋市天白区)体育館には、縦4メートル、横8メートルの色鮮やかな矢橋さん作品「薬と生命」がある。学内では撮影スポットとして人気だったが、作者の表示もないなど作品のことはあまり知られていなかった。

 建て替えに向けた動きが本格化する中、平松正行薬学部長(61)は「薬学の意味が表現されたモザイク画で文化的価値がある」と考え、作品の保存を学内で訴えることを決めた。平松さんは「寄付を募るなど方法を考えたい」と話す。

 今月中に閉館する中日ビルでは、親しまれた矢橋作品の天井画「夜空の饗宴(きょうえん)」を保存し、新しいビルに残すことを決めている。

 矢橋さんの作品に詳しいモザイク愛好家森上千穂さん(50)=愛知県豊田市=は「建物との一体感を大事にしていた作家なので、知られないまま解体されたケースもあると思う」と推測し「建て替え時期が迫る建物も多い。今の場所にある姿を見てほしいし、きちんと記録に残したい」と話す。

 ▼矢橋六郎(やばし・ろくろう) 1905年、岐阜県赤坂町(現大垣市)生まれ。東京美術学校(現東京芸術大)で西洋画を学び、洋画家として活躍する傍ら、家業の石材業での経験を生かし、全国の民間ビルや官公庁舎にモザイク画を残した。大学でも教壇に立ち、岐阜県教育委員長も務めた。66年中日文化賞、84年には文化庁地域文化功労者表彰。88年に82歳で死去。

(2019年3月16日 中日新聞夕刊1面より)

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