お知らせ 2020.06.22
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豊橋空襲から75年 平和の祈り 灯籠に乗せ
太平洋戦争中の豊橋空襲から75年を迎えた20日夕、豊橋市湊町の湊町公園で犠牲者の追悼集会が営まれた。
市民団体「豊橋空襲を語りつぐ会」が主催し、市民ら約100人が参加。空襲犠牲者に黙とうをささげた後、当時5歳で空襲を経験した豊橋市上野町の本多尅史さん(80)の講話があった。本多さんは「みなさんはそろって100歳まで生きて」と、参加した市内の桜丘高校や豊橋中央高校の生徒らに語り掛けた。
桜丘高生徒会副会長の男子生徒(18)は「私は5歳のころの記憶はほとんどない。本多さんが空襲を覚えているということに、体験の悲惨さを感じた」と話した。参加者は「平和をつなぐ」「祈平和」などと記した灯籠を豊川に流し、戦争を語り継ぐ決意を新たにした。
豊橋空襲は1945年6月19日夜から20日未明にかけて、米軍機136機が焼夷(しょうい)弾を投下。624人が死亡し、約7万人が被災した。(山谷柾裕)
(2020年6月22日 中日新聞朝刊三河版より)
市民団体「豊橋空襲を語りつぐ会」が主催し、市民ら約100人が参加。空襲犠牲者に黙とうをささげた後、当時5歳で空襲を経験した豊橋市上野町の本多尅史さん(80)の講話があった。本多さんは「みなさんはそろって100歳まで生きて」と、参加した市内の桜丘高校や豊橋中央高校の生徒らに語り掛けた。
桜丘高生徒会副会長の男子生徒(18)は「私は5歳のころの記憶はほとんどない。本多さんが空襲を覚えているということに、体験の悲惨さを感じた」と話した。参加者は「平和をつなぐ」「祈平和」などと記した灯籠を豊川に流し、戦争を語り継ぐ決意を新たにした。
豊橋空襲は1945年6月19日夜から20日未明にかけて、米軍機136機が焼夷(しょうい)弾を投下。624人が死亡し、約7万人が被災した。(山谷柾裕)
(2020年6月22日 中日新聞朝刊三河版より)