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お知らせ 2019.09.18

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豊橋中央高等学校

豊川海軍工廠大空襲 先輩から体験を聞く 豊橋中央高生 本紙記事が縁

豊川海軍工廠で働いていた並木さん(右)の話を聞く生徒たち=名古屋市瑞穂区で

豊川海軍工廠で働いていた並木さん(右)の話を聞く生徒たち=名古屋市瑞穂区で

 戦時中の豊川海軍工廠(こうしょう)の大空襲の実態を語り継ぐ活動をしている豊橋市の豊橋中央高校の生徒たちが、元動員学徒で高校の大先輩となる名古屋市瑞穂区、並木ひろゑさん(88)から貴重な体験を聞き取り、記録した。生徒たちの活動を中日新聞の記事で知った並木さんが「私の話が後輩たちの役に立つなら」と8月に同校へ連絡、実現した。 (武藤周吉)

 3年生の女子生徒(18)と2年生の男子生徒(16)が15日に並木さんの自宅で聞き取りした。

 並木さんは同高の前身の愛知高等実修女学校の生徒だった。1944年夏から豊川海軍工廠へ動員され、弾丸の製造に従事。45年8月7日の大空襲を体験した。

 女学校では大空襲によって卒業生を含め計29人が犠牲になっており、生徒会を中心に有志が先輩たちの悲劇を語り継ごうと学習会などを定期的に開いている。

 並木さんによると、空襲当日は午後から作業だったため、爆撃時は寄宿舎におり、仲間たちと近くの防空壕(ぼうくうごう)に身を寄せた。「顔と耳を手でふさいでじっとしていたが、爆撃の衝撃で体が宙に浮いた」。避難後に寄宿舎に戻ると、「爆撃によってばらばらになった犠牲者の手や肉片が木々に引っ掛かっていた」と語った。

 また、空襲翌日からは「くみこ先生」と呼ばれていた責任者の教師が毎日、安否の分からない生徒を捜しに出掛け、遺体の臭いが教師の体に染み付いてしまったことを振り返った。

 生徒から「弾丸を造っているときはどんな気持ちだったか」と問われると並木さんは「戦争に勝つんだという強い気持ちで一生懸命だった。ずっとそう教えられてきた」と語った。

 男子生徒は「自分にできることは当時のことを学び、知ること。悲惨な戦争を二度と起こさないために、もっといろいろなことを知りたいと思った」と話していた。生徒たちは今後聞き取りの結果をまとめ、校内で発表する。

(2019年9月18日 中日新聞朝刊17面より)
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