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お知らせ 2019.11.09

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金城学院高等学校

セーラー制服 苦闘の復元 1921年初採用 金城学院中・高、モノクロ写真基に

復元された1921年当時のセーラー服(左)と現在のセーラー服=東区の金城学院中・高で

復元された1921年当時のセーラー服(左)と現在のセーラー服=東区の金城学院中・高で

 約100年前に日本で初めてセーラー服を制服にした金城学院中学校・高校(東区)が金城女学校だった当時の制服を復元した。手掛かりは、学校に残っていたモノクロ写真。生地や制服のメーカー、系列の金城学院大(守山区)の被服学の研究者が当時の裁縫技術を調べ、1年がかりで完成させた。長屋頼子校長(62)は「多くの人に見てもらい、歴史を感じてほしい」と話す。(豊田直也)

 同校は1921(大正10)年9月、上衣とスカートが分かれたセーラー服を制服に採用した。復元は今年10月の創立130周年の事業として昨夏始まった。参考にしたのは21年当時に撮影された制服姿の生徒7人が写ったモノクロ写真だった。

 だが、写真では生地や色の判別が難しく、創業した1896(明治29)年から生地を保管するニッケ(大阪市中央区)が時代背景から「セルサージ」を選んだ。金城の制服がはかまだった頃に使われた素材で、大正から昭和にかけて女学生の制服に多く使われたからだ。色は当時の卒業生の手記から紺と分かった。

 制服メーカーの明石スクールユニフォームカンパニー(岡山県倉敷市)は、倉敷市内のミシン店から100年前のミシン3種を取り寄せて縫製した。写真通り長めの着丈、襟や袖元の白いラインを再現。当時はスナップがなかったと考えられ、袖元はボタンホールで留めた。ファスナーもない時代なので、スカートの脇ははかまのように隙間があったと推測した。試着しては写真と比較し、シルエットを修正した。胸元のリボンは、卒業生の手記通り現在と同じ黒色にした。

 同社の担当者は「写真では見えない部分が多く、研究者と一緒に時代背景などから絞り込むしかなかった」と振り返る。

 7着を仕立て、今月1日に学校関係者にお披露目された。長屋校長は「当時は制服メーカーがなく、各家庭で作っていたはずだ。今以上に、新しい制服に袖を通すとワクワクしたと思う」と思いをはせた。校内外で展示するほか、協力したメーカー2社や同窓会にも寄贈する。

 セーラー服の制服は、従来は1921年12月に導入した福岡女学校(現福岡女学院中学校・高校、福岡市)が日本初とされたが、日本大の刑部芳則准教授(日本近代史)が昨年、金城の方が3カ月早かったことを確認した。刑部准教授によると、平安女学院(現平安女学院中学校・高校、京都市)も福岡より早い20年11月にセーラー襟の制服を採用しているが、こちらはワンピースで、現在の上衣とスカートに分かれたセーラー服とは異なる。

(2019年11月9日 中日新聞朝刊市民版より)

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