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名経大で第1回犬山学サロン 時代順 まち形成史解説

犬山のまちの来歴を話す赤塚さん=犬山市の名古屋経済大で
犬山のまちの来歴を話す赤塚さん=犬山市の名古屋経済大で

 犬山市内久保の名古屋経済大は6日夕、同市のNPO法人「古代邇波(にわ)の里・文化遺産ネットワーク」の赤塚次郎理事長(63)を招いて、第1回犬山学サロンを開いた。(三田村泰和)

 演題は「古代史から見た犬山という場面」。埋蔵文化財調査を経て生まれ育った犬山で歴史再発見を主導する赤塚さんが、川と不可分に営まれた古代の風景を説いた。

 赤塚さんによると、木曽川は江戸時代以前は犬山辺りを起点に放射状に分流しており、100キロ平方メートルの広大な犬山扇状地をかたちづくった。一帯は「邇波」と呼ばれ、古代人は水辺に近い段丘に集住し、背後には原始の森があった。時を経て犬山のまちが形成される順について、推論を交えて紹介。まず今の名鉄犬山駅東側の田中天神の森に中世ごろ、湿地に面した集落ができ、おそらく水害などの影響で15世紀中ごろに駅西側の木之下城に中心が移った。さらに16世紀中ごろに現在の犬山城周辺が発達したと考察した。

 「犬山城や城下町は微高地にあるが水をくみに行ったわけではない。ではどうしたのか。井戸を掘った。そうすれば微高地だが水が出た。周辺の湿地がダムとなり、水が行き渡った」と赤塚さん。

 水害についても記録に残る木曽川の氾濫や150年前の入鹿池の決壊などに言及。「今は大丈夫だと言い切れるのか。400年周期で気候が大変動するという説もあり、これから想像を絶する災害が起きないとも限らない」とし、遺跡がどう滅び、どう再生したかを知ることが、過去を学ぶだけでなく未来を考えるヒントになるとした。

 サロンは名経大に昨年できた犬山学研究センターの新たな取り組みで、初回は市内の学校や観光関係者らに参加を呼び掛けて約30人が集まった。さまざまな専門家の話をリラックスして聞く場づくりが狙いで、4月以後に第2回を開く。

(2018年2月8日 中日新聞朝刊近郊総合版より)

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[2018.02.08]

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