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信長生誕地 古文書では・・・播磨中京大教授 「勝幡城説」愛西で解説

織田信長の勝幡城生誕説の根拠となった古文書を解説する播磨良紀中京大教授=愛西市佐織公民館で
織田信長の勝幡城生誕説の根拠となった古文書を解説する播磨良紀中京大教授=愛西市佐織公民館で

 戦国武将の織田信長が愛西、稲沢市境にあった勝幡(しょばた)城で生誕したとされる説の根拠となった古文書を読み解く講座が3日、愛西市佐織公民館であった。中京大の播磨良紀教授(56)が古文書の読み方を手ほどきした。(藤嶋崇)

 この古文書は、当時の公家、山科言継(ときつぐ)(1507〜79年)が書いた「言継卿記(きょうき)」。

 名古屋市中区にあった那古野城で生誕したとの定説では、信長が生まれる2年前の1532年に信長の父信秀が、今川氏豊から那古野城を攻め取ったことが前提だった。しかし、言継卿記の33年の記録には「那古野 12才 今川竹王丸(氏豊の幼名)」とあった。信秀は32年にはまだ那古野城を攻略していない可能性が高まり、定説に疑問を投げ掛ける記述として注目された。

 一方、愛西市所蔵の「尾州古城志」などには信長が勝幡城で生まれたとの記述があった。近年、研究者の間でも勝幡城生誕説が有力になってきている。

 播磨教授は「山科言継は中流公家。当時は公家が地方に行くことはよくあった」と説明。参加した市民ら22人と言継卿記の原文を一緒に読み、言継と信秀が交流した様子を紹介した。

 この講座は、勝幡城生誕説の根拠となった言継卿記を広く知ってもらおうと、公民館が企画した。

(2014年7月4日 中日新聞朝刊尾張総合版より)

[2014.07.04]

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